2012年5月17日木曜日

【itak】第1回イベントを終えて

【itak】第1回イベントを終えて         

五十嵐秀彦


5月12日(土)に、俳句集団【itak】第1回旗揚げイベントが開催され、盛況のうちに終了いたしました。
まだその余韻の醒めないうちに、本企画の言いだしっぺである私から皆さんにご挨拶を兼ねた記事を書かせていただこうと思います。


1、北海道の俳句事情

北海道の俳句の状況をどうとらえるか。
そんなことはどうでもいいし、見えもしないのだから考えたこともない、という人がこのところとても多くなってきているように思います。
しかし、私のように道内結社同人で、現代俳句協会員でもある立場から見れば、俳句の状況というのはとりもなおさず自分たちそのものであり、結社なり協会なりが北海道の俳句を作ってきたという自負もあるわけです。
そうは言いながら、結社も俳句団体も同じことを繰り返し、また内輪での活動に終始していて、変化を生みだすこともなければ、対外的に発信するということもほとんど行われていないというのは、誰もが認めるところだと思います。
そういう現状が、既存の組織の中で閉鎖的に活動しているグループと、既存の組織とは全く関係のないところで俳句を遊んでいるグループとを生みだしているのではないでしょうか。

このまま何も変わらずに月日が流れるとどうなるでしょう。
結社も俳句団体もおそらく10年もすれば全部消滅してしまうと思います。
そして既存の組織と無関係な俳句愛好者たちも、結局は仲間内での遊びのレベルにとどまり、自分の作品を広く読んでもらうことなどもなく、ひ弱な表現活動に終始してしまいそうです。
消え去るものは消えればよい、立ち去るものは去ればよいとは思いますが、北海道の俳句が途絶えることは、いま俳句文芸の表現者であろうとしている人々にとって耐えがたいことであるし、そういう状況にしてはいけないと誰もが思っているのではないでしょうか。

そして、俳句に興味を持ち、俳句を作っていきたいと思っている人たちにとって、既成の結社や俳句の団体はどう映っているでしょう。
結社の価値はけっして軽くはないと言ってみても、俳句初心者にとってどれだけ魅力的な信号を発信できているでしょうか。
厳しい言い方になりますが、ほとんど全くと言っていいほど、できていないと思うのです。

こうして考えていると、北海道の俳句の滅亡は避けられないことのように見えてしまいます。


2、【itak】とは何か

さて、ここまで悲観的なことばかり書きました。
しかし私はこの悲観的な情況を変えたいと思っているのです。
そのためには、いま述べた悲観的な考えのすべてを楽観的なものに置き換えるばよい、そう思ったのです。
既存の組織が硬直化し、なかなか新しい一歩を踏み出せず、また若い俳句愛好者が自分たちだけの世界の中で遊んでいる状況から抜け出すためには、「どちらでもなく、どちらでもある」新しい運動を起こしてしまうのが一番の近道だと考えました。

超結社の句会を立ち上げよう。
いま時分超結社句会など珍しくもない、と言われそうです。
でも【itak】はこれまでの超結社句会とは違うのです。
どこが?
結社に所属している俳人が結社の壁を越えて集まり、句会をする。
それはどこかしら勉強会のような雰囲気を漂わせています。
そして、句会が終わればそれでお開き、じゃまた来月ね、と言って別れるわけです。
【itak】はそうした超結社句会と何が違うのでしょうか。
まず、決まった会員の集まりではないということです。
運営するための幹事は数人おります。しかし幹事だけで句会をするのではありません。
幹事は【itak】の縁の下の力持ちなのです。
もちろん句会はします。
俳句集団ですから。

それは誰が参加してもいい集まりなのです。
会員であるとかないとかいう集まりではありません。
いろいろな結社の人たちが来ます。俳人協会の人も来ます。現代俳句協会の人も来ます。
無所属の人だってきます。
「結社って何ですか」っていうような初心者の方も来ます。
若い人もいます。道内俳壇の重鎮ともいうべき大ベテランもいます。
すべて平等です。
代表はいますが、文字通りの代表であって主宰とか先生とかいう存在ではありません。
代表は別名「あいさつ要員」です。
句会だけで終わりなの?
それもつまらない。せっかく集まるのだから、句会以外にも刺激となることをやりたい。
イベントをやろう。
いろんな人が担当し、俳句にまつわる多様な視点の存在を知る知的冒険をしてみよう。

句会とイベントをやって終りなの?
俳誌の出版はしないの?
さて、そこで考えました。
そもそもなぜ【itak】を旗揚げするのか。
そこにふたたびもどる必要があります。
これまでなかった新しい運動を起こし、自分たちの足元の俳句情況を活性化させること。
それが目標です。そのためには絶対していけないことがあります。
クローズさせてはならないということです。
オープンであるということ。
それは誰にでも開放されているというだけではなく、そこで行われていることを誰もが知ることのできる存在にすることでもあります。

俳誌のような出版物を発行することが今の時代、オープンなことと言えるでしょうか。
そのことがひょっとすると新しい閉鎖的な集団を作ることにつながってしまうかもしれません。
出版物よりはるかに簡便にそして広範囲に情報を発信できるメディアがあります。

インターネットです。
インターネットはこれまでそのボーダレスな性格から、地理的垣根を超えるツールでありメディアであると期待されてきました。インターネットと俳句というと、その特性を生かし、どこにいても参加できる句会というような活用のされ方が一般的であると思います。
確かにそのとおりですが、【itak】は逆転の発想をすることにしました。
つまり、継続的に開催されるイベントはあくまで顔を合わせてその場での交流を重視するものであり徹底的にローカルな存在として行う。そして、インターネットはそのローカルな活動を広範囲に発信するメディアとして活用する。
ひとことで言ってしまえば、北海道で何かが起きている、それを全国に印象づけることをしていきたい。
道内外に反響を呼ぶことで、停滞している道内俳句情況に刺激を与え、文芸運動の車を回し始めることができないか、そうした実験的試みを【itak】で実行しようと考えました。


3、【itak】が始まった!

私のその思いに賛同してくれる仲間が集まってくれて幹事会がすぐにできました。
3月から具体的に準備を続け、ツイッター、フェースブック、ブログだけではなく、ユーチューブさえもを利用し宣伝を展開。
イベントの内容は、第1部をシンポジウム、第2部を句会とし、第1回についてはできるだけ参加の垣根を低くしたいという思いから、事前申し込み方式を取らず、ワンコイン、つまり500円と、投句2句を握って当日会場に来れば誰でも参加できるというやりかたにしました。
さて、結論を言ってしまえば、5月12日のイベントはいろいろな意味で成功したと思います。

・参加者50人というのは、多すぎず少なすぎずの絶妙な人数でした。
・参加者の中に、道内では著名な俳人も相当参加してくれました。
・経験の浅いスタッフによる運営であったにもかかわらず入念な準備と頭の下がる頑張りで破綻なく運営ができました。
・終了後、懇親会等で多くの好意的な評価をいただきました。

もちろん、「よかった、よかった」で済ますわけにはいきません。
まだまだ工夫しなければならないことも多々あったと思います。
特に初回だから参加したという方も少なくないはずです。今回の人数がそのまま次回以降につながると思うのは甘いと思います。
しかし、これまで北海道で行われなかったなにかがこの日実施されたと、多くの参加者が感じたのではないでしょうか。

この「何かが始まる」という思いが実に長い間、北海道の俳句の世界になかったのです。
さて、では何が始まったのでしょう。
それはまだはっきりとは言えません。
なぜって、始まったばかりだからです。ここから何が生まれてくるのか。
それは私たちがこれから作るのです。
私たちは【itak】という「事件」の当事者であり、目撃者ともなるのです。
これからブログで、第1回イベントの内容が順次報告されていきます。
それは過去のイベントの報告であると同時に次回への抱負ともなるでしょう。

「何が始まった」のでしょうか。
もしあなたが第1回イベントに参加されなかったのだとしたら、ぜひ第2回イベントに参加し、あなたが直接その当事者となり、目撃者となってください。

錆びついた車輪をみんなで「よいしょ」と明るいかけ声とともに回し始める。
それが【itak】なのです。

イベントアルバム

五十嵐秀彦代表 あいさつ


シンポジウム「あえて今、花鳥風月を考える」パネリスト 
左から 五十嵐秀彦氏  山田航氏  平倫子氏

句 会
当季雑詠二句持ち寄り

選句中





◆ご参加下さいましたみなさま。ありがとうございました。句の披講・講評につきましてはただ今準備中でございますので少々お待ち下さいませ。

◆次回イベントは随時お知らせいたします。

◆ご意見・ご感想は下記まで。お待ちしております。



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