2012年10月14日日曜日

第3回itakトークショー『俳句って面白い!』 ③高畠葉子編

③ 高畠葉子



 ●冬菊やノラにならひて捨てし家(鈴木真砂女)


 真砂女は1906年に生まれ、96歳で亡くなりました。昭和4年(1929年)、23歳で結婚。大恋愛の末の結婚だったそうですが、29歳で夫が失踪して、実家に帰りました。その年にお姉さんが亡くなり、実家が名門の旅館だったので義兄と再婚することになります。32歳のときに7歳年下の海軍士官と恋に墜ちて、一目逢いたいと家を出てしまいました。そのときの句と私は思ったのですが、この句は60歳の時のものです。ノラとあるので、久女のこととも関係があると思われます。久女とは16歳違い。久女は「足袋つぐやノラともならず教師妻」というのを1922年に書きました。真砂女のこの句は1966年です。40年の間に女性に変化があった。久女も負けないくらい行動力はあったと思うが、久女はノラになれず、真砂女はノラになった。60歳でこの句を書けたことに驚きました。もう一つ、真砂女は家に帰りましたが、「それでも夫は妻を迎え入れた。2カラットの指輪を買ってくれた」とあります。




 ●倖せと誰にも云われ夕牡丹(池上不二子)


 不二子は25歳のときに久女と出会っています。久女が念願の句集を出すときに、夫の池上浩山人に装丁を頼んだ。家に来たときに久女が不二子と談笑したそうです。そのとき久女に「奥さんの句、本当にいいお句です。少しも人生に対する不安とかなく、安住する落ち着きが優しく表れております。幸せの上に座った句」と言われたそうです。不二子はこの言葉にカチンときたそうです。確かに幸せの人生で、不自由なく育ってきたけれど、たいへん好奇心が強く、負けず嫌い。幸せの環境ながらも、自分で努力しその持ち前の好奇心から、「忽然と消えた明治の名俳人  沢田はぎ女」を当時、長生きをしていた本人を取材し、夫の代筆説まで出ていたはぎ女の「はぎ女句集」を刊行しました。その行動力に、「幸せに座った」だけの人生ではなくという所が見られます。


朱子さんが「夕牡丹の夕が気になる」と言っていましたが、謎を残したままで今日はここに来ました。


 ※籬 朱子 牡丹かな-と言い切るのではなく、夕牡丹としたところがこの句の眼目かと。牡丹は華やかな存在感のある花ですが、夕牡丹となるとその華やかさに影が差します。山田 航さんのお好きな「椿咲くたびに逢いたくなちゃだめ」という句も椿という花の佇まい、ことに色が抒情を支えています。作者の思いをどんな花に託すのかということで、句の命が定まるのだと思います。




 ※五十嵐秀彦「久女、真砂女、不二子、世界観がそれぞれ違い、三者三様です。久女は鬱屈した不満感がある。真砂女は、60歳になって、振り返ってみて冷静に句を作った。不二子は何か面白くない、人に言われたら面白くないと。いずれも一昔前の『女流俳人』という俳句の雰囲気がある。今は女性の俳人が多くなりました。今後、女性という切り口の俳句はあると思いますか」


 ※高畠葉子「あると思います。女であることを意識してどこが悪いという感じです。男のは男の感覚、女は女の句を作ればよいと思います」




  ●原爆忌楽器を全力で殴る(御中虫)


 この方はなかなか変わった方なのですが、1979年生まれの女性です。改名をして「御中虫」となりました。自分の名前によって心を傷つけられる場合、改名できるのですが、そういう手続きを取って、「おなかむし」という名前になりました。「古事記」に登場する「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」から取ったそうです。大石悦子さんが「この人は肉声でうたっている。季語やリズムやテクニックを超えて、この人の俳句に対する姿勢、新しい形を探る可能性を評価したい」と言っています。人類学者によると、最初に作り出された音楽のはじまりは声と言われていますが、その次には、自分の体を打つ、手で何かを打つ、その次に何かを持って打つ。人に知らせたり、リズムを作って音楽になっていった。原爆に対する怒りを「楽器を持って殴る」と表現したところが彼女らしいと思いました。彼女が俳句に接したきっかけは俳句講座です。京都の芸術大学に7年間いたのですが、何とか卒業しなければならないという時に、単位の交換授業で龍谷大学の大石先生の俳句の講座を受講したことからです。そのとき詠んだ句が「暗檻ニ鵜ノ首ノビル十一時」というものです。「暗檻」は暗い檻、彼女の造語だそうです。ほかにも破調の句や面白い句がありますが、「一面の峰雲かづきて首強し」「一週間何していたかセミが死ぬ」という有季定型の句もあります。機会があれば、この「御中虫」にちょっと注目してみてください。




※五十嵐秀彦「センセーショナルな俳人です。相当批判も出てくる人物でしょう。「歳時記は要らない目と手も無しで書け」「手首切りました向日葵咲きました」といった句もあります。長谷川櫂さんが震災の句集を出したことに猛反発して、アンチテーゼとして『関揺れる』という句集をあえて出しまています。なかなか久しぶりに戦闘的な俳人が出てきました。33歳の女性でいかにも現代ふうですが、話題だけの人かというとそうではない。この句、面白い句と思いました」



☆抄録:久才秀樹(きゅうさい・ひでき) 北舟句会

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