2012年12月10日月曜日

『やぶくすしハッシーが読む』  (その3) ~第4回の俳句から~


『やぶくすしハッシーが読む』(その3)
 
 

~第4回の俳句から~
 

橋 本 喜 夫
 

 

木を離れ林檎の一歩トラックへ



私はまっかなりんごです。という童謡を思い出す。まず林檎の旅はトラックへ積まれることからはじまるという句意であろう。なつかしくて、わかりやすくて、実景も見える句である。つまり語りの句でありながら、写生句のように映像の復元化が可能な句である





留守と言ふ神とカミさん紙一重



座五何とかしたらとってもいい句になったのだろう。紙一重という座五を用いたかったのだろうと作者の気持ちはわかるが、はたして俳句であろうか。面白すぎて謎がない。余白がない。神渡しとか、風の季語で逃げてもよかったのでは。神がダブルのがいやであれば、

留守といふカミさん居留守神渡し とかであいまいにすればいいはずだ。カミさんが留守と言い張る場面はとても面白くて、なんとか俳句にしてほしい。というかとても人気が集まった句なのかもしれないが。。。。このままでは・・・・





しぐるるやポストに喪中ハガキ落つ



喪中はがきを材料にする句は新しくないが、情緒、心情に堕さずに、ポストに落ちた冷たい音のみに集約したのがよい。背景にふる時雨が効いてくる。喪中はがきを出す時期と、しぐれの時期がもちろんのこと、実感がある。かなり細部まで目が効いている作品だ。





しわくちゃのプリント出す子いわし雲



あるあるネタではないが、こういう子いるよね。悪い子ではないのだが、無頓着というか、勉強できないというか。
しわくちゃのプリントが百点満点のテスト用紙ならいいのだが。
学校帰りも空ばかり見たりしてね。いわし雲が意外に生きていると思う。





片隅に生きる赤帯文化の日



意味がわからないのだが、面白く感じた。そもそも文化の日はすこしからかってしまいたくなる祝日である。新憲法公布の日、明治節の影響もあるのか。この季語に関係ない措辞をつけると結構それらしい俳句ができてしまう。片隅に生きる赤帯とは何か、高齢者という意味か。柔道の高段者であえばみな老人である。しかも実際には高齢なのでもう強くない。なんか揶揄的で面白い。




その4に続く)

 

0 件のコメント:

コメントを投稿