2012年12月9日日曜日

『やぶくすしハッシーが読む』  (その2)~第4回の俳句から~


『やぶくすしハッシーが読む』(その2) 

 

~第4回の俳句から~
 

橋 本 喜 夫

 

 

立冬や駆け抜けてゆくグレートデン

 

駆け抜けてゆくものが、何かによって句のできが変わってくる。日本的な動物、秋を感じさせる動物など立冬との関係で考えられるが、グレートデンという狩猟犬を持ってきたことが、はずされた感があって面白い。まさに俳句でいうすこし外すテクニックである。直球に見えてツーシムのような変化球である。ちなみにグレートデンというのは「偉大なるデンマーク」という意味だとか。



さみしくて十一月の耳尖る

 
  

草田男の句に「あたたかき十一月もすみにけり」という句があるように、本州では意外とあたたかく、おだやかな日和がつづくのが十一月であろう。それにくらべて北海道はどうであろうか?寒い、中途半端に雪が降り、道路状況は悪い。寒さが中途半端なので車は滑って事故が多い、完全な雪世界にならない場合はテストの前の日のようにとても暗い気持ちになる。これから日が長くなる、暖かくなるならあきらめもつくが、これからどんどん気候は悪く,棲みずらくなるわけであるから、さみしさは募る。心理的な表現を体の一部を使って行うことは多いが、特に耳は寒さ、静かさを感じ取るアイテムである。耳尖る、十一月の連結は秀逸である。さみしくての措辞に意見が分かれる句であろう。


 

切れ切れに息絶え絶えに囲炉裏かな
 

中七までの措辞はすべて囲炉裏の火の勢いを表現したものと考えた方がいいであろう。心理的なもの、作者あるいは発話者の状態が息絶え絶えとは思いたくない。そうすると火の映像が復元されてゆく。勿論、炉を囲んだ炉話が切れ切れ、息絶え絶えとも考えられるが、それだと景や囲炉裏の火の映像が結べないと思う。囲炉裏だけを言いたい一物仕立ての句である。

 

虫の音やラヴェルの和音散りしかな

 

ラヴェルはモーリス・ラヴェル、フランスの作曲家、その名前を知らなくても「ボレロ」という曲は絶対聞いたことがあるはずだ。彼の和音は知る人ぞ知る精緻なものだったそうな。さて秋の虫の音。一種類であれば、べつだが色んな虫の音が混じれば和音であろう。たとえそれが不協和音であっても。外国人には雑音にしか聞こえないそうであるが、日本人は虫の音を決して雑音、騒音とは思わない。作者は虫の声を聴いて、ラヴェルを思い出したのであろうか。や、かな やはり一句に同時使用は避けるべきであろう。

 
 

枯るる葉にバージンオイル二、三滴

 

なんだかわからないが魅かれる句である。間違っているかもしれぬが、いまはやりのアロマ療法に使われるオイルではなかろうか。そのままの意味で取れば、枯れた葉っぱに再生を願うが如くバージンオイルというものを二三滴垂らした。という句。知ってる人ならわかりすぎるくらいわかりやすい句なのであろう。二、三滴も音調がよくて句としてできていると思う。ここでPCで少し調べたところどうやらギリシャなどで使われる食材らしい。女性から「そんなの知ってるわよ」と怒号が聞こえるようだ。このように作者は当然のように使用しているが、私のようにまったく知らない人もいる。負け惜しみではなく、おそらく生句会に参加したとして、私はこの意味がわかってなくても印をつけたであろう。その程度の言語感覚はあるつもりだ。

 

(その3に続く)

 

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