2012年8月29日水曜日

俳句集団【itak】第三回イベント・パネラー紹介③


籬 朱子(俳人)
 
 
 
 
 
 
 
 
 




籬 朱子(まがき・しゅこ)

10年ほど前、堤白雨に俳句の手ほどきを受ける。

2005年、銀化(中原道夫主宰)入会。
2008年、銀化十周年コンクールにて銀翼賞受賞。
2009年より同人

 



2012年8月28日火曜日

俳句集団【itak】第三回イベント・パネラー紹介②

山田 航(歌人)













山田 航(やまだ・わたる)1983年札幌生まれ。

1983年札幌市生まれ。
歌誌「かばん」所属。

2009年、角川短歌賞および現代短歌評論賞受賞。
近刊に『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』 
  
                (穂村 弘共著、新潮社)

歌集『さよならバグ・チルドレン』   (ふらんす堂)


 

2012年8月27日月曜日

俳句集団【itak】第三回イベント・パネラー紹介①

高畠葉子(俳人) 
 











高畠葉子(たかばたけ・ようこ)

1960年生まれ。
2000年以降インターネットと親しむ中、俳句と出会う。
弘前の超結社集団「弦」同人、現代俳句協会会員

2012年8月24日金曜日

芥川龍之介の俳句を語る(俳句集団【itak】第二回・講演会論考)


 芥川龍之介の俳句を語る
      ー「水涕」の句を中心にー 
                    
                             今田 かをり

Ⅰ はじめに


 芥川龍之介〈明25(1892)・3・1~昭2(1927)・7・24〉は、短歌や旋頭歌なども
作っているが、詩歌の中では断然俳句の数が多く、千句余りの句を残している。
しかも、彼は死の直前まで「俳句」という詩型を手放すことはなかった。そこで、
芥川が「俳句」を愛した理由、そしてまた、辞世の句ともいうべき「水涕」の句を
考察してみたいと思う。

 まず芥川の句集についてであるが、以下のものがある。


 
①加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』(平22・8、岩波文庫)

 芥川の作品の他、ノート、手帳、未定稿、日記、短冊などの自筆資料、芥川以外
 の第三者による作品中から、編者により1158 句を選び収録。ただし、原資料が
 確認できないため、②村山古郷編『芥川龍之介句集 我鬼全句』に収録の句で 
 あっても記載されていないものもある。年代による編集。

②草間時彦編『芥川龍之介句集 夕ごころ』(平5・3、ふらんす堂)

 編者により318 句を精選。

③村山古郷編『芥川龍之介句集 我鬼全句』(昭51・3、永田書房)
  
 芥川の作品の他、ノート、手帳、未定稿、日記、書簡、真蹟などから編者によっ
 て1014 句を収録。季題による編集。

  ちょうこうどう
④『澄江堂句集』(昭2・12、文藝春秋社出版部)

 『梅・馬・鶯』(大15・12、新潮社)に収録されている「発句(74 句)」に3句を
 加えた77 句を、彼の四十九日に芥川家が配ったもの。その後、市販された。
 実は、芥川自身は、生前一冊の句集も出版していないが、④の『澄江堂句集』
 にして、妻の文さんが次のように語っている。

  
 主人は亡くなる前年の、大正十五年の夏、鵠沼(くげぬま)にいました
 私達の家へ長崎から渡辺庫輔(くらすけ)さんを呼びました。/主人は
 今まで作りましたたくさんの俳句を整理して、その中から七十七句を
 抜き出して、渡辺さんに清書をしてもらいました。/きっと思うところが
 あって、清書してもらっていたのだと思います。/主人が亡くなりまして
 から、この句集を印刷にしまして、それと日頃使用しておりまし印の
 いくつかを捺したものとを、二冊にして、横十三・五センチ、縦二十七
 センチの和に収め、和綴にして、藍色木綿の表紙の三つ折の折た
 たみの中に収めて、『澄江堂句集 印譜附』としてお返し用に、それぞ
 れお送りいたしました。
                   〈芥川文〈述〉・中野妙子〈記〉『追想 芥川龍之介』(昭50・2、筑摩書房)〉



 これが『澄江堂句集』の復刻版であるが、妻であった文さんの言葉から、死を覚悟
 した芥川が、千句余りの句の中から選び抜いた77句だということができる。


Ⅱ 芥川龍之介の句歴

 句歴については、芥川が随筆「わが俳諧修業」で、四つの時期に分けて書いている。

 ①小学校時代

 
  尋常四年の時(明34、満9歳)で初めて十七字を並べる。

    落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな


  
 ②中学、高校、大学時代 

  子規などの著作は読んでいたようだが、句作は殆どしていない。

 ③教師時代

 東京帝大を卒業後、海軍機関学校の英語の教官となった大正5年から急速に、俳
 にのめりこんでいく。その理由として、二つ考えられる。
 まず一つ目が、この大正5年という年は、芥川が発表した小説「鼻」が夏目漱石
 激賞され、文壇にデビューした年であり、それ以後芥川は、頻繁に漱石山房に出入
 りするようになる。そこで、俳句を作っていた漱石はもちろんのこと、同じく漱石
 山房に出入りしていた久米正雄(俳号は三汀)らと交わる中で、次第に俳句に興味
 を持ったのではないかということ。
 二つ目の理由は、高浜虚子の住む鎌倉に住むようになり、また『ホトトギス』へ
 の投句も始めたということ。

  
  蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

  青蛙おのれもペンキぬりたてか

  木がらしや目刺にのこる海のいろ


   
 ④作家時代

 芥川は大正8年に教師を退職し、念願の作家生活に入る。そして『ホトトギス』
 脱退し、俳壇とも関わらず、句作をつづける。その時に彼の拠り所となったのが、
 とりわけ 芭蕉の蕉風を中心とした 江戸の俳諧であった。 ちなみに芥川は 終生、
 「俳句」とは言わず、「発句」と言っていた。

  元日や手を洗ひをる夕ごころ

  初秋の蝗つかめば柔かき

  臘梅や雪うち透かす枝のたけ

   (亡くなる昭和2年の5月の初め、北海道へ講演旅行に来て作句)

  冴え返る身にしみじみとほつき貝

  雪どけの中にしだるゝ柳かな



Ⅲ 俳句を愛した理由

 次に、芥川が俳句を愛し、死の直前まで手放さなかった理由を探ってみたいと思う。
今のところ私は、三つの理由を考えている。

◇家庭環境

 芥川の随筆に次のような一節がある。

   私の家は代々御奥坊主(おおくぼうず)だつたのですが、父も母も甚(はな
  はだ)特徴のない平凡な人間です。父には一中節、囲碁、盆栽、俳句などの
  道楽がありますが、いづれもものになつてゐさうもありません。母は津藤(つ
  とう)の姪で、昔の話を沢山知つてゐます。その外に伯母が一人ゐて、それ
  が特に私の面倒を見てくれました。今でも見てくれてゐます。家中で顔が一
  番私に似てゐるのもこの伯母なら、心もちの上で共通点の一番多いのもこ
  の伯母です。伯母がゐなかつたら、今日のやうな私が出来たかどうかわか
  りません。/文学をやる事は、誰も全然反対しませんでした。父母をはじめ
  伯母も可成(かなり)文学好きだからです。その代り実業家になるとか、工学
  士になるとか云つたら反つて反対されたかも知れません。
            〈芥川龍之介「文学好きの家庭から」(大正7・1、『文章倶楽部』に掲載、全集第三巻所収)〉


 
 このように文学好きな人たちに囲まれ、江戸の文人文化が色濃く残っている家庭
境で育つという、俳諧に親しむ素地があったことが大きいのではないかというこ
とが一つ目の理由である。


◇最短の詩型


 次に考えられる理由は、俳句のその「短さ」である。これも彼の随筆からの
引用である。


    「もつと己れの生活を書け、もつと大胆に告白しろ」とは屢、諸君の勧める
  言葉である。僕も告白をせぬ訳ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の
  験の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勧めるのは僕自身
  を主人公にし、僕の身の上に起つた事件を臆面もなしに書けと云ふのである。
  おまけに巻末の一覧表には主人公たる僕は勿論、作中の人物の本名仮名を
  ずらりと並べろと云ふのである。それだけは御免を蒙らざるを得ない。

 
                         〈芥川龍之介「澄江堂雑記』、「告白」(大11・8、 全集第十巻)〉


 
 このように、あからさまに自己をさらけ出すことを拒んだ芥川にとって、五・七・
五という世界最短の詩型は、不自由さよりもむしろそれがかえって魅力的だったの
はないか。また、芥川は、推敲に推敲を重ねるタイプの作家であり、一字一句に
こだわって句を作るという行為そのものが、彼の資質に合っていたといえるのでは
ないだろうか。


◇「点心」のようなもの


 三つ目の理由は、芥川が俳句をどうとらえていたかということに関わっている。
下生の小島政二郎への書簡(大7・5・16)の中で、芥川は、「此頃高浜さんを先生
にして句を作つています。点心を食ふやうな心もちでです」と書いているのだが、
その「点心」ということについて、随筆で次のように述べている。


   点心とは、早飯前及び午前午後哺前(ほぜん)の小食を指すやうである。小
  説や戯曲とすれば、これらの随筆は点心に過ぎぬ。のみならずわたしは
  この四五年、丁度点心でも喫するやうに、時々これらの随筆を草した。


                           〈芥川龍之介 随筆集『点心』自序(大11・5、全集第九巻)〉



 この中に出てくる「随筆」の部分を「俳句」に置き換えると、俳句を作るという
とは、芥川にとって、本業の小説を書くという行為とは違った楽しみだったので
はないか、まさに点心を喫するように、俳句をもてあそぶことが彼の精神の安らぎ
になっていたのではないかと思われるのである。


Ⅳ 「水涕」の句考

     自嘲

   水涕や鼻の先だけ暮れ残る

 いよいよ「水涕」の句の考察に入りたいと思う。

◇成立時期

 まずこの句の成立時期であるが、実は、これがはっきりしていないのである。

 • 水洟や鼻の先だけ暮れ残る   大14
   (村山古郷篇『芥川龍之介句集 我鬼全句』、「冬」の「水洟」の項に記載)

 
 • 水涕や鼻の先だけ暮れ残る
   (加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』、「大正15・昭和元年」の項に記載)

 
 • 水涕や鼻の先だけ暮れ殘る
   (『澄江堂句集』…77 句中17 句目に記載)


 
 上に挙げたように、句集によって制作時期が異なっている。ただ、ほぼ制作順に
んでいる『澄江堂句集』の中で、この句は77 句中17 句目であり、前後の句の作られ
た年代から、大正10 年頃には出来ていたのではないかと思われるのである。芥川が亡
くなったのは昭和2年の7月、ではなぜこの句が辞世の句ともいうべき句であるのか。
そのあたりのことを山本健吉が『定本 現代俳句』に書いているので、引用する。


   
   七月二十四日の午前一時か二時ごろ、彼は伯母の枕もとへ来て、一枚の
  短冊を渡して言った。「伯母さん、これをあしたの朝下島さんに渡してください。
  先生が来た時、僕がまだ寝ているかもしれないが、寝ていたら僕を起こさずに
  いて、そのまままだねているからと言ってわたしてください」。これが彼の最後
  言葉となった。「下島さん」とは主治医下島勲であり、乞食俳人井月(せいげつ)
  を世に紹介した人である。この後、彼はヴェロナールおよびジャールの致死量を
  仰いで寝たのである。短冊には「自嘲」と前書してこの句が書かれてあった。


           〈山本健吉『定本 現代俳句』(平10・4、角川選書、角川新書版『現代俳句 上巻』昭26・6)〉


 
 たしかに、かなり以前に詠まれた句であり、この句を辞世の句とするのはおかしい
という説もあるのであるが、死の直前に短冊に記して託したということから、私は、
やはり芥川自身が、この句を辞世の句として選んだのだということが出来ると思う。


◇句釈

  この句の解釈であるが、まず二つほど句釈を紹介する。俳人中村草田男と、山本
 健吉は、次のように解釈している。

   私はこの句こそ、彼自らによって客観化された人間芥川龍之介の一個見事な
  自画像であると思う。二階の窓ぢかい手欄に寄りかかったひとりの人の横顔が、
  都会の屋根の彼方に日の没し去った後の、真黄色な残光の光を背景にして、く
  っきりとシルエットになって浮かびあがっている。次第に増す寒さは夜気となって
 
  迫ってくるが、室内は灯ともらず、窓辺の人は不動の儘である。隆い鼻の先に唯
  たか一点、生き物のように宿っている水洟だけが、遠くからの黄色い残光を透し
  て、いよいよ瞭然(はっきり)と存在をきわだたせている。/芥川龍之介には、比較
  的初期の作品に、既に次のような題名を附せられたものがあったことを思い出さ
  ずには居られない。/「孤独地獄」
 
 
                              〈中村草田男「俳人としての芥川龍之介」(昭17・7、『芥川龍之介研究』)


   
   「僕も亦人間獣の一匹である」(或旧友へ送る手記)と言った彼は、顔の中の
  鼻の部分に動物的なものの名残を意識することがたびたびあったかもしれぬ。
  しかも次第に「動物力を失っている」(同)自分を意識した彼にとって、鼻はただ
  一つ取り残されたものという感じがつきまとっていたかもしれぬ。鼻一つ「暮れ
  
  残」っているという気持ちである。水涕を点じた鼻の先だけが光って暮れ残って
  いるという意識は、だからまさに「自嘲」そのものである。鼻だけが動物のごと
  生きて水涕を垂らしているという不気味な自画像を描き出したのである。鼻に
  託して、冷静に自己を客観し、戯画化した句であり、恐ろしい句である。彼の生
  涯の句の絶唱と言うべきであろう。

                                       〈山本健吉『定本 現代俳句』(前掲)〉


 
 山本健吉は「鼻」を「動物力」の象徴と捉えているものの、中村、山本両氏に共通
しているのは、水洟を垂らした具体的な自画像を描き出している点である。

◇私見

 さて、それでは私はどう考えるかということであるが、四つの観点からこの句にア
プローチしてみたいと思う。

 1. 措辞の問題

  
  *切字の「や」の問題

    俳人は助詞一字にもこだわるが、芥川もそうだったことが、句集をみると
   よくわかる。この句も、「水涕の鼻の先だけ暮れ残る」とたたみかけるよう
   にもていくことも出来たわけであるから、したがって、やはり芥川が「や」
   で切ったということの意味は大きいのではないだろうか。

  
  *「洟」と「涕」の漢字の問題

    村山古郷編『芥川龍之介句集 我鬼全句』では、この句は「水洟や」と
   なっており、岩波文庫の加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』と『澄江堂句集』
   では、「水涕や」となっている。果たしてこの違いに、どのような意味があ
   るのだろうか。『大漢和辞典』によると、「洟」は ❶はなしる。洟液。❷な
   みだ。一方「涕」は❶なみだ。❷なく。❸はなしる。となっている。

 「や」で切っているということ、そしてこの漢字の選び方から考えても、芥川は、
水洟を垂らした具体的な人物像を描き出そうとしたのではなく、「水涕」というの 
は、苦い自嘲の思いの象徴なのではないか、また漢字の「洟」を「涕」と改めたの
も、具体的な「鼻水」から離れたかったためではないのかと思えてくる。そしてさ
らに、「涙」ということも響かせたかったのではないだろうか。



 
 2. 「日暮れ」とは


  次に「暮れ残る」という「日暮れ」のイメージについて考えてみたいと思う。
くなる年に書かれた『或阿呆の一生」からの引用である。

    彼の姉の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姉の一家の
   面倒も見なければならなかつた。彼の将来は少くとも彼には日の暮のやう
   に薄暗かった。彼は彼の精神的破産に冷笑に近いものを感じながら、(彼
   の悪徳や弱点は一つ残らず彼にはわかってゐた。)不相変いろいろの本を
   読みつヾけた。
                                      (四十六段「譃」より)(傍線は引用者)
                      〈芥川龍之介「或阿呆の一生」(『改造』昭2・10、改造社、全集第十六巻)〉

  ここから読み取れるのは、芥川にとって「日の暮」とは、「人生の日暮れ」
 のみならず、「精神の日暮れ」を意味していたのではないかということである。


 
 3. 季語の問題


  三つ目は季語の問題である。というのも「水涕」は「冬」の季語、芥川が亡く 
 なったのは七月。はたして芥川は季語をどのように捉えていたのだろうか。彼は
 次のように書いている。

   
    発句は十七音を原則としてゐる。十七音以外のものを発句と呼ぶのは
  ―或いは新傾向の句と呼ぶのは短詩と呼ぶのの勝れるに若かない。[…]
  発句を発句たらめるものもやはり発句と云ふ形式、̶即ち十七音にある訣
  である。

   発句は必しも季題を要しない。今日季題と呼ばれるものは玉葱、天の川、
  クリスマス、薔薇、蛙、ブランコ、汗、̶いろいろのものを含んでゐる。従つて
  季題のない発句を作ることは事実上反 つて容易ではない。しかし容易では
  ないにもせよ、森羅万象を季題としない限り、季題のない発句も出来る筈で
  ある。

                      〈芥川龍之介「発句私見」(大15・7、『ホトトギス』初出、全集第十三巻)〉

  ここから、芥川は五・七・五の韻律には非常にこだわっていたが、季語に関して
 はゆるやかに考えていたことがわかる。したがってこの場合、「水涕」は季語と
 して機能しているのではなく、「作者の心理状態」、つまり「日暮れ」のところ
 でもみてきたように、「鬱々とした精神の日暮れ」を象徴しているのではないだ
 ろうか。


 
 4. 「暮れ残る」とは


  最後に、さてそれではなにが「暮れ残った」のかという問題が残る。素直に句
 を読めば、暮れ残ったのは「鼻の先」である。彼の小説「鼻」では、鼻は「自尊
 心」の象徴として使われているが、亡くなる年に書いた「或阿呆の一生」の四十
 九段の「剥製の白鳥」にも注目してみたい。

    
    彼は最後の力を尽し、彼の自叙伝を書いて見ようとした。が、それは彼自
  身には存外容易に出来なかつた。

    彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剥製の白
  鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立つてゐたものの、黄ばんだ羽根
  さへ虫に食はれてゐた。彼は彼の一生を思ひ、涙や冷笑のこみ上げるのを感
  じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮の往来を
  たつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心した。

                                           (四十九段「剥製の白鳥」より)

  ここにも「日の暮」が出てくるが、登場する「剥製の白鳥」が、まさに彼自身
 姿を投影したものだとすると、暮れ残ったものとは何か。それは、ぼろぼろになっ
 て、それでも頸を挙げて立っている「白鳥の挙げた頸」ではないのか。そして、こ
 の「白鳥の挙げた頸」、これこそが、「水涕」の句における「暮れ残った鼻の先」
 に当たるのではないだろうか。
  つまり、肉体的にも精神的にもぼろぼろになった彼の、けれど最後に残っている、
 「芸術家としての矜恃」とでもいったようなものではないかと考えるのである。


Ⅴ おわりに


 
 最後に、芥川が何故この「水涕」の句を辞世の句として選んだのか、ということに
ついて考えてみたい。
 Ⅳでみてきたように、自死を覚悟した、彼自身の心境を表すのに最もふさわしい句
であったということ、もちろんこれは大きな理由のひとつであろうが、私はそれとは
別の、彼がこの句にこだわった理由があるのではないかと考えるのである。
 それは、芥川は、「鼻」の句で終わるということを強く意識していたのではないか
いうことである。彼の小説「鼻」の主人公である「禅智内供(ぜんちないぐ)」の
鼻は、長かった鼻が一度は短くなるものの、最後にはまたもとの長い鼻にもどって終
わる。他に、「杜子春」あるいは「蜘蛛の糸」などの作品も、起承転結の「結」にお
いて、「起」の状態にもどって終わるのである。つまり、芥川の中には「永劫回帰」
というか、「はじめに還る」という意識が強くあったのではないかということである。

 したがって、小説「鼻」で文壇にデビューした彼は、その生をとざすにあたって、
 
「鼻」の句で終わりたかった、もう少し言えば「鼻」の句でなければならなかったの
はないかということである。そしてさらに言えば、小説『鼻』で代表される、彼の
品そのものが「暮れ残った」といえるのではないだろうか。



【参考文献】(句集を除く)
•『芥川龍之介全集』全24 巻(平7・11~平10・3、岩波書店)
• 芥川文〈述〉・中野妙子〈記〉『追想 芥川龍之介』(昭50・2、筑摩書房)
• 山本健吉『定本 現代俳句』(平10・4、角川選書)
•『中村草田男全集』(昭60・7、みすず書房)





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2012年8月21日火曜日

第3回イベントのお知らせ

俳句集団【itak】事務局です。

8月も終わりに近づき暦は秋を迎えておりますが
まだまだ暑さの厳しい日が続いております。
皆様どうぞ体調を崩さぬよう、お気をつけ下さいませ。


さて、第三回イベントも少しずつ足音が近づいてまいりました。
ここで詳しい日程等をお知らせしたいと思います。



★俳句集団【itak】第3回イベント★



日時:平成24年9月8日(土)13時00分~16時30分

場所:「北海道立文学館」

    札幌市中央区中島公園1番4号

TEL:011-511-7655

※地下鉄南北線「中島公園」駅(出口3番)下車徒歩6分
※北海道立文学館最寄の「中島公園」

駅3番出口をご利用の際には

①真駒内駅方面行き電車にお乗りの方は進行方向先頭部の車両

②麻生駅方面行き電車にお 乗りの方は進行方向最後尾の車両に
 
                         お乗りいただくと便利です。

■プログラム■

第一部 トークショー「俳句って、面白い!」
  
  葉子が斬る 航が語る 朱子が読む 抱腹絶倒トークショー


  出演  籬朱子(俳人)、山田航(歌人)、高畠葉子(俳人)

  司会  五十嵐秀彦(俳人)


第二部 句会(当季雑詠2句出句)



<参加料>

一    般    500円
高校生    300円
中学生以下 無  料  (但し引率の大人の方は500円を頂きます)

※出来る限り、釣り銭の無いようにお願い致します。



■参加申込みのお願い■

準備の都合上、前回同様なるべく事前の参加申込みをお願いします。
締切は9月2日とさせて頂きますが、締切後に参加を決めてくださった方は
どうぞ遠慮なくこちらのメールでご相談下さい。

なお会場に余裕がございますので当日の受付も行います。
申し込みをしていないご友人などもお連れいただけますので
どなたさまもご遠慮なくお越しくださいませ。

参加希望の方は下記メールに

「第3回イベント参加希望」

のタイトルでお申込み下さい。

itakhaiku@gmail.com

ちょっとでも俳句に興味ある方、今まで句会とかに行ったことのない方も、大歓迎です!
軽~い気持ちで、ぜひご参加ください♪
句会ご見学のみのお申込みもお受けします(参加料は頂戴します)。



 

2012年8月19日日曜日

葉子が読む(その6)~第二回イベントの俳句から~

葉子が読む(その6)

「なぜか選べなかった心地よき句たち」


句会というのはその日の天気や朝の出来事や
昼に何を食べたかまでが影響するまさにライブだと思う。
投句一覧表を読み、なぜこの句をいただかなかったか?と
不思議に思うことがある。
だいたい八十句もあるところからたったの三句しか選べないのだ。
「心地よき無点の句」が量産される訳だ。




心地よき その1 



秋近し膳場貴子の髪の艶  久才透子



 まず笑った。女性ならではの句だろう。
しかし惜しむらくも予選句までにもいかなかった。なぜかな?
しかし、今こうして読んでみるとなんとも面白い。
膳場貴子。23時からのニュース番組の顔だ。
女性キャスターはファッションからメイクまで何くれと注目を浴び、
いちいちとご指摘の電話もあるという。
作者は、ある日気づいたのだろう。膳場貴子の髪の色が変わった事に。
或いは、秋がちかいなぁと思った時に
膳場貴子がテレビに映し出されただけのことかも知れない。
何れにせよ、女性が女性を見て季節を感じることには共感する。誰が何をしようと秋近し。だ。
ちなみに、あたしは有働由美子が好きだ。

女性キャスターは季節もまた一歩先をゆかねばならぬのだ。



心地よき その2



裏窓に悲しき玩具夏屋敷  後藤友子




作者はあるとき夏屋敷を訪れた。一通り屋敷を見た後
ふと裏窓にある「悲しき玩具」が置かれているのを見つけた。
もちろん石川啄木の歌集だ。
それは無造作に忘れられたのではなく、丁寧に置かれていたに違いない。
それを作者は見つけ読みふけった。
26歳と言う若さで逝ってしまった啄木の歌を
作者はまた裏窓に置き弔ったのではないだろうか。
それにしても夏屋敷という言葉はひどくロマンチックだ。
夏屋敷を持つなど全く夢の話だが、夏の休暇にコテージを借りて好きな本を読む。
このくらいのゆとりは欲しいものだ。


「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど 石川啄木」




心地よき その3



水槽を見つめる夏の昼下がり  深澤春代



夏の昼下がり。水槽を見つめる。
この水槽が汚れているのか否かが分かれ道の掲句。
あたしならば、ああまた洗わなかったわ。
こんなに汚れちゃって・・・・と見つめながら昼下がりをどんより、
あれもどんより、これもどんよりと過ごすだろう
(だから、我が家に水槽はないのであるが)
作者は水槽はきれいに手入れをしたのであろう。
水槽を洗う・手入れするというのは本当に大変だと聞く。
その方法はあたしには分らないが力のいる仕事であろう。
午前中いっぱいかかってきれいになった水槽。
水はキラキラと光を映す。
そんな光景に作者は満ち足りた気分になるのだろう。




心地よき その4



サングラスセピアに染まる晴れの庭  藤井飛鳥



作者はサングラスをかけている。
庭に目をやるとそこはセピアに染まっている。
ここで、はたと立ち止まってみた。
サングラスをかけて見る世界はサングラスの色だ。
そしてその色の世界になる。

そこをあえて作者はセピアに染まると言った。
確かに庭はサングラスによってセピアに染まったのであろうが、
果たしてそれだけだろうか?
セピアという色はどこか懐かしさと郷愁を思わせる色だ。
そのセピアという色を選んだ作者は、
この晴れの庭に思い出を見たのではないだろうか?





心地よき その5



故郷の生家霞むや草いきれ  村元幸明




掲句。霞むがなかなかうまく理解しきれないのだが・・・
ふと気付いた。

あたしの故郷は噴火で多くの家を置き去りにして人々は非難した。
そして一時帰宅の時の事。
荒れた、生活の朽ちた家を見た時人々の目は霞んだのだ。

これを思い出した時。掲句が身近に感じた。
草いきれで霞んだのと、作者の生家への思い出が霞んだのと
両方だったのに違いない。

田舎を歩くと売家の看板の立った家が多い。そしてその多くが
雑草にまみれ、家人が暮らしていたころは丹精したであろう花が
咲いたりするのを見ると、涙が出そうになり霞むあたしだ。

句会中はここまで思いをめぐらせる時間がないのが残念だ。
しかし、今一番この句を実感するのは福島の方々なのだろう。




心地よき その6



夜涼みや静寂を切る救急車  新川託未




夕食後、暑かった一日を引きずりまだ熱のこもる夜。
作者は夜風に当たっていたのだろう。きっと一人で。
静寂の中ただ過ごしていたわけではない。
静寂を楽しんでいたのだ。

しかし、今の世の中夜とは言え静寂を得るのは難しい。
これは作者の心の静寂だったろう。
でなければ「静寂を切る」という感覚にはならないだろう。
静寂を切った救急車。静寂を切るものは他にもあるだろうが
はやり、救急車でなければこの句はならないと思う。




 
心地よき その7




カーネーションみな終焉の色をして  安藤由起



この句はあたしのテーマにも似ている句でずっと気になっていた。
気になっていたゆえに、どう書こうかと迷っていた。
花の終わりというものは、融けてゆく感覚がある。
それが終焉だ。花びらが一枚一枚落ちてゆく花。
花ごとぽたりと落ちる花。
花の盛りが終わり朽ちて行く寸前、花びらはねっとりとする。
まるで、最後あがきのように。掲句のいう終焉だろうか?
いつかその花びらの朽ちて透けてゆくさまを詠みたいと思って
いたところへこの句を目にし「終焉」という言葉に唸った。
そして、この句はカーネーションといっている。
カーネーションと言えば万人が納得する理由がある。
母の日にこぞってカーネーションを贈った。
鉢物のカーネーションもそろそろ終わりを迎えている。
その姿を終焉の色と解釈した。
五月からの時間を遡り、今を詠んだ掲句があたしは好きだ。





心地よき その8



喪服着て持つハンケチは真っ白で  福井たんぽぽ

 

お弔いに向かうときあたしはハンカチの色に迷う。白にしようか黒にしようかと。
作者は白に、しかも真っ白にした。亡くなった方への想いが真っ白を選ばせたのだろう。
「ハンケチ」という表現もまた作者の想いが込められているようだ。
通夜・告別式と涙と鼻水ととかく「ハンケチ」は必需品だ。
女ならばマスカラやら控えめなメイクでも泣けば落ちてハンケチにうつる。
泣くのをこらえれば、手に力が入りハンケチを握りしめる。
帰り道、しわくちゃになり汚れたハンケチに作者は何を想っただろう。
あたしは、お見送りの形としてハンケチがあったと思うのだが。



心地よき その9



滴りて低血圧と同期せり  恵本俊文




滴りと低血圧の取り合わせ。これはなかなか思いつかないだろう。
しかし、あたしは低血圧仲間として理解できるところだ。
あの滴りを見ていると「あれが俺の血の流れか?」とか作者は
感じたのだろうか?いや、同期せりと言っているのだから
滴り見つけると、作者の心拍は滴りと同期してしまうのだ。
滴りのテンポでは健康体とはいえない。まるで点滴のようだ。
同期と動悸。そんな遊びもまた入っている句であるかもしれない。
低血圧によい生活ってどんなだろうな・・・・と思う。




◆これをもちまして第二回【i t a k】イベント句会の
葉子が読むを終了させて頂きます。
拙い文章ではありましたがあたくし自身は、
大変勉強になる場を与えて頂けました事を
感謝申し上げます。

高畠葉子拝


2012年8月16日木曜日

葉子が読む(その5)~第二回イベントの俳句から~

葉子が読む(その5) 「男と女」


「男の目・女の目

句会で披講前に「この句は女性だろうな」とか「これは男だよ」
などと勝手に思ったりしている。
ところが披講されると驚いたことに「これが貴方さまの句ですか?」
と言いたくなることが多かった。逆もしかり。
本当に面白いものだ。男だからとか女だからとかとばっさりと
分けてしまうつもりは毛頭ない。
しかし、微妙に違う男の目と女の目。
DNAに組みまれてでもいるかのような違い。
そこがまた面白いと思う。



男と女 その1


イヤリング片方失せし夏の恋 坂入隆人


これは女子でしょ!と思っていたら・・・・男性の句であった。
もし、これが女子の句であったなら失恋の句ということで
簡単に素通りしてしまうかもしれない。
が、男性の目だった。
この句のポイントは「夏の恋」と結んだところだろうか。
イヤリングを落とす程度のものさ。と。
夏に生れた恋は成就しないとかなんとやら。
悉く夏の恋というものは、堕ちやすく覚めやすい。
そこをイヤリングに例えて失せたという。これが男の目かも知れない。
もし、女ならきっぱり「恋失せし」とか言っちゃうのかもしれない。
現代の若者の恋はとんとわからないが。



男と女 その2

 
意気地なし背中が申すサングラス 松林槇子


意気地なしー!って思うことはよくある。自分にも。他者にも。
これは男を見る女の目だろうかと考えていたらやはり女の目だった。
「背中が申す」が面白い。この「もの申す」というのはどうやら
パートナーのように思えてならない。
或いは背中が「俺って意気地なしなんだよな・・・・」と言っているのかもしれない。
何れにせよ、「意気地なし」に情を感じる。サングラスという小道具は嵌っている。
これは、何方が意気地なしと申しているのか迷うところではあるが。
あたしは、男が背中で意気地なしと申していると思う。
ちょっと胸がキュンとする。



男と女 その3


鈴ひとつつけてをんなと山滴る 早川純子


掲句。あたしには大問題作だった。
鈴ひとつつけて。山滴る。
熊の季節でしょ?鈴ひとつで大丈夫?・・・・・・
ううむ。難しい。「をんなと」と言っているのだから
鈴をつけているのは「をとこか?」鈴は何かの象徴なのか?
あぁ・・・なに一つわからない。をんなと山滴る。だ。
「ただならぬ関係の二人」ではないだろう。
「をんなと」といっている。鈴をつけているのが男とはいっていない。
だが「ただならぬ男とをんな」でなければ鈴を一つにしないだろう。
滴る山へ何か覚悟を持って入って行くというのだろうか?




男と女 その4


夕暮れや砂利道急ぐ浴衣かな 川中伸哉


見事に情景が見える。よく「景」が見えるとか言うが
掲句の場合情景と言いたい。夕暮れや。と強い切れ。
暮れて来ると足元が見え難い。そこは砂利道。
急ぐと転ぶよ危ないよ。と作者は思う。
浴衣の裾のひらひらと動くさまや、両手でひょいひょいとバランスを
とりながら急ぐ少女(ここで確認。少女だよね!)の姿が生き生きと見える。
なぜ、句会で選ばれなかったか・・・・わからない。
さて、作者は男だ。句の中のには女性だ。
句の中には女性と、読み解けば案ずる男がいる。
作者に言いたい。おぬしなかなかやりますな。

2012年8月13日月曜日

葉子が読む(その4)~第二回イベントの俳句から~

葉子が読む (その4) 「食」


風も、音も、色も、この星と太陽の微妙な距離感や
力関係で奇跡とも言えるバランスでできたものだった。
次は「食」あまり難しくは考えていない。
たまたま句座に「食」があったから、くらいの
軽い気持ちではあるが、先に書いたとおり
「食」自体は奇跡といえる地球に与えられたものであることは
記したい。



食 その1


逃げられぬ状況にあり梅雨菌 室谷安早子 


まず「梅雨菌」とは不勉強ゆえ知らなかった。
一読「つゆきん」と読んでしまう。梅雨と菌はあまりに近い印象だからだ。
そして、帰宅してゆっくりと読んでみると「梅雨きのこ」であること。
写真もたくさん見た。なるほど。きのこと打つと菌と変換してくるではないか。
どうも写真からは食べられそうにない姿が多い。

ここで今、作者は逃げられぬ状況にある。
そこへ梅雨菌をもってきたのはなんとも愉快だ。
逃げられないという、切羽詰まった状況であるにも関わらずだ!
菌という字の選択もなかなか粋ではないか。

句会ではなかなか読取れないものだ。
後になってから「しまった!」と思う句が意外と多い。
本当に句会とは生もので、日頃の勉強と知識の積み重ねが鑑賞を
深くするものと大いに反省をした。

でも梅雨菌中には食べられるものもありそうだ。



食 その2


ソーダ水泡の数よりある記憶 小笠原かほる



ソーダ水の二句目だ。
ソーダ水の泡は次から次と浮かんでは弾ける。
作者は泡の数よりある記憶と言っている。
始めは勢いよく弾け、次々と泡も元気がよい。
そして、時間が経つにつれて泡の数が減り弾ける勢いも
弱くなる・・・・・まるで人生のようだ。
つまり、作者は負けないわよ!と自分を鼓舞しているのかもしれない。
気がすっかりぬけた、ただの甘い水となってもこの作者はここから
記憶を作り出し水泡を弾けさせるのだろう。
ソーダ水という、甘い季語から見える作者の強さを思う。



食 その3



ひとすくい心が笑う水羊羹 佐々木成緒子


水羊羹はするりと、のどごしがよく、夏の甘味好きにはたまらない。
甘いものは人の心をほぐしてくれる。作者はもしかしたら何か
心に引っかかるものがあったのかもしれない。
なぜなら、この句があまりにもすーっと読めるので逆に何かあったのだろうか?
と思わせるのだ。
あれ?誰かと喧嘩などしたろうか?などと野次馬根性が出てしまった。
しかし、水羊羹。なにがあってもなくても、ひとすくいすれば心が笑い
さて!がんばりましょうか。なんて気持ちになるものだ。
はて?心が笑う?これもなかなか面白いではないか。


食 その4



アカシアの花降る中を結婚す 田口三千代




食をとりあげたテーマの句で掲句?と思われる方もおられるかもしれない。
しかし、この句の中に「食べられる」ものがある。
アカシアの甘い花の降る中の、幸せな二人。
それを祝う人々。美しい花嫁と美しい花。頼りがいのある花婿どの。これ以上何がありましょう。
佳き季節佳き日佳人たち。
想像するだけで幸せな気分になれる。

さて。「食」
句意からは少々外れてしまうことを覚悟で書いている。
この、美しき祝典のあとには日常がまっているのだ。

この句の中の食材はアカシアである。

アカシアの花は天麩羅にすると美味しいのだそうだ。
ほんのり甘い香。そして、翌年アカシアのアレルギーが少し良くなるそうな。
むりやり感は否めないが、アカシアと聞くとすぐに天ぷらを思い出すものだから・・・・



食 その5



流しさうめん変なおじさん混じりおり 岩本碇




ああ・・・・もうだめだ。
掲句を読んだ途端にバカボンパパがさうめんといっしょに
流されてくる姿が頭に張り付いて離れない。
もちろん、作者はそんなつもりで書いた訳ではないと思う。しかし、
あたしの脳内ではそう変換されてしまい、どうにもならないのだ。
・・・・流しさうめんを楽しむ人たちの中にちょっとだけ
変なおじさんが混じってた。というだけのことだが、こうして
あたしのように、バカボンパパがさうめんと流されてくると
感違いさせてしまう変な句だ。いや、バカバカしい力があるのだ。
この句を旧かなで書いているところが技ありと思う。


2012年8月10日金曜日

~札幌琴似工業高校からのお便り~

俳句集団【itak】事務局です。

先月の第2回イベント句会に参加していただいた札幌琴似工業高校の文芸部が
先日行われた学校祭の展示の様子を写真付きで報告してくれました。
若さあふれる高校生の活動内容をみなさんにもご紹介したいと思います。

※写真の大きさにより、一部写真内の作品が判りづらくなっております。
  ご了承ください。


札幌琴似工業高校文芸部 
2012年学校祭展示をご紹介します。