2013年4月22日月曜日

第3回週俳十句競作・落選展 句評(2) 三品吏紀


第3回週俳十句競作・落選展 句評(2) 三品吏紀


先日の【週刊俳句10句競作】に見事落選してきた三品です。
んまぁ、このままお蔵入りしちゃうのも勿体無いですからねぇ。皆さんからの評を頂いて、新たな糧にしたいと思います。
そしてせっかくだから、他の方々の作品も読んでみようっと。
選んだ句はランダムチョイスです。


薹  早川純子


雪しまく乳房は堅くなりにけり
  
 雪しまき。強い風と共に吹き付けてくる雪は想像以上に激しく身体を凍えさせる。
その寒さに耐えるのに全身が力んでいく姿に意図せず、乳房まで堅くなっていくのだろう。
ただこの句を読んで感じたのは、単純に「乳房が堅くなるほど寒い」と云う景だけでそれ以上の意図、含みを読み取ることができなかった。 何かしら句に深みを持たす事ができれば、より面白い句になったように思う。

 
たちんぼのピアスの凍ててゐる数多
  
 生きる為に自らを資本とする「たちんぼ」。客を掴むまで街角に立ち続け、そして彷徨う。ピアスの冷たさが身体も心も芯まで凍らせていく。
 だが立ちんぼには生きていく為にこの冷たさが必要なのではないだろうか。
 
☆この作品は全体的に性的要素を多分に含んだ構成になっている。 一句一句のインパクトは強いが、季語が持つ情緒を喰ってしまっているようにも思う。故に選を取るにはなかなか難しい作品だと感じたり。



失職日  高畠葉子


テーラーの鋏よく鳴く寒夜かな

 全体的に小気味良く読める句だと思う。 鋏が布を「ヂョキン!」と心地よい音を立てて布を裁断していく景が、はっきりと目に浮かぶ。
テーラーに仕立ててもらったスーツは、本当に一生物の一着である。太って着れなくなってしまったら、そりゃもうガックリ、目も当てられないでしょう。
(と、我が愚兄に捧ぐw)

 
八歳の私が見えて雪眼鏡

 子供にとって雪眼鏡やサングラスを通してみる世界は、なにか非日常を味わえると云うか、大人になった気分になるような、そんなワクワクした感じがある。
作者にとって雪眼鏡は、そんな子供の頃の特別な感情を思い起こすのだろう。
 
☆タイトルの『失職日』とあるように、全体的にどこか切なさの漂う作品が多いように思う。 自分の身に起きた不条理や何かを正面から受け止めたり、あるいは巧くかわしたり、時には逃避したりという心情が、随所に感じられる。



モヨロ人  久才秀樹


軒氷柱うな垂れ歩く去勢犬

  ...同じ健康なオスとして、かなり同情してしまうなぁ(笑)
もし自分も去勢してしまったら、きっとこの犬と同じようにうな垂れて歩くんだろうなぁ。
世のオス達の悲哀の句だ(笑)
 

公魚や光の穴は地獄行き

 氷結した湖に穴を開け、公魚を釣ると云うのはヒトにとっての楽しみだが、公魚にとっては地獄の穴が開いたと云うことか。 そしてその穴の先には死しかない。
ただこの句を読んで気になった事が一点。
 地獄と云うのは「地」つまり下にあるということ。「地獄に堕ちる」という言葉があるくらいだから。 しかしこの句では公魚の上にその地獄の穴が開いていることになる
その点でどうも句の中で、公魚と光の穴の位置関係があやふやになって、イマイチ句がぼやけてる様にも思えるのだが、どうだろう?
これについて他の方々の意見もぜひ伺ってみたいところ。
 
☆久才さんは現在オホーツク方面に在住で、僕と同じ時期に俳句を始めた方。寒冷地ならではの様子をうまく詠む方だ。
ただ自分にも言えることだが、それぞれの句の出来栄えにハッキリとした差があるように思う。 お互い切磋琢磨しましょう(笑)



親しき水  鈴木牛後

  

それぞれの手に融け雪は親しき水

 実は拙句に「双の手に降りては死ぬる春の雪」という句を読んだのだが、それとは近いようで遠い句の内容だと思う。
拙句では、人肌に触れると忽ち跡形も無く消えてしまう春の雪の切なさを詠んだのだが、この牛後さんの句は更にそこから一歩踏み出し、「自然は常に姿形を変え、私達と密に繋がっている」という言葉が伝わってくるように思える。
自然と生き物相手に仕事をしている人ならではの句かもしれない。
 

真白とは息子でありしころの雪

 そうだよなぁ。人は歳を重ねる毎に、酸いも甘いも・綺麗も汚いも経験して、その中で様々な色に染まっていく。ヒトはそうやって育ち、老いて、朽ちていく。
子供の頃のあの新雪の様な真白の心を持ち続けるという事は,とても難しいことかもしれない。
 
☆牛後さんは一句一句の完成度が高く、作品構成も綺麗に纏められている。 逆に言えば、綺麗にまとまりすぎて作品全体としての魅力がやや物足りないようにも思う。 あっさりしすぎかな? 

 
...やや駆け足で句評を書いてみたが、それぞれの作品(自句も含め)を改めてじっくり読んでみると、「・・・おっ!」と思う句もあれば「・・・はてな?」と首を傾げたりする事も多く、おそらく首を傾げる数が多いほど入賞への道が遠のいていったのだろう。
改めて自分の力量を知ったわけだが、淡々と結果を受け入れている。
幸い自分の周りには手本となるような俳人の方々が沢山いるので、これからもその人達の後にくっついて俳句を学んでいきたいと思う
 
さ、次はどこに応募しようかなぁ(笑)

(了)

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