2013年5月27日月曜日

『かをりんが読む』 ~第7回の句会から~ (その1)


『 かをりんが読む 』 (その1)

~第7回の句会から~

今田 かをり


 5月11日のitakには、残念ながら仕事のため出席出来なかった。そして先日、句会の資料が届いた。もちろんすべて名が伏せられてある。
 句との出会いは、人との出会いに似ている。最初の印象が良くて、それがそのまま変わらないという幸せな出会い、あるいは後からしみじみその人の良さがわかってくるという末広がり的な出会い、あるいは始めはぐっときたのに、そのうち飽きてくるという尻窄まり的な出会い等々。
 そこで今回、句を選ぶに当たっては、出会った瞬間にぐっときた、あれっと思った、あっとびっくりした、というような「出会い頭」の句を選ばせていただいた。したがって、後からぐっとくるような句は、残念ながら入っていないことをお許しいただきたい。


 

母の日や妣の齢にあと五年
 

人は、親の齢を越えるときに、何らかの感慨を抱くものらしい。私事で恐縮だが、私を可愛がってくれた祖母は享年59歳で亡くなった。交通事故であった。その齢に近づくにつれ、祖母を思う気持ちにも、単に懐かしむだけではない感情が混じるようになった。あの頃の祖母が、どんなに私を慈しんでくれたのか、祖母の視点でものを考えられるようになったといったらよいだろうか。そして、大げさに言えば、祖母がどのような生き方をしようと思っていたのかが、朧げながら見えてきたということだろうか。この句の作者もきっとこういう気持ちなのではないだろうかと、少し切ない気持ちでいただいた。
 

インディアンペーパー匂ふ緑雨かな
 

「インディアンペーパー」は、「インディアペーパー」ともいう、辞書や聖書などに使われている薄い洋紙である。図書室で辞書を開いているのか、あるいは聖堂などで聖書を読んでいるのか、いずれにせよ静謐な感じが漂っている。そのうえ、外は緑雨である。その静けさが嗅覚を鋭敏にして、紙の匂い、インクの匂い、あるいは雨の匂いを感じ取っているのだろう。「インディアンペーパー」がこんなお洒落な句になるなんて、驚きである。季語の「緑雨」がいい。
 

さらさらと水音たてて種袋
 

種袋を振った折に聞こえてきた「さらさら」という音。これだけを句にしたのなら
ありふれた句となり、紛れてしまったことだろう。ところが作者は、その音を「水音」に見立てた。そして見立てた途端、幻の川が流れ出すのである。言葉の力、言葉の不思議であろうか。そしてその不思議は、「種」の持つ命の不思議にもつながっていくのである。
 

巣作りの鳥見え妻の白髪見え


この句の面白さは、何より立体的な句だということである。まずは空間的に、作者は下から見上げているのだろうか。樹の上で鳥が巣作りをしている。そしてその向こうに、ベランダで洗濯物を干している妻の白髪が見えている。とも取れるし、上から見下ろしているとも考えられる。ベランダに出てみると、近くの樹で巣作りをしている鳥がよく見える。見下ろすと、庭で花でも植えているのだろうか、妻の姿が見える。その妻も白髪が目立つようになった。どちらにしても、作者は「巣作りの鳥」と「妻の白髪」を同時に見ているのである。「巣作りの鳥」は、これから家庭を作り、子どもを育てていく若い家族、そして「白髪の妻」は、すでに子育ても終え、これから作者と老いを生きていくのである。当然、作者の脳裏には子育てをしていた頃の妻の姿が浮かんでいたはずである。「鳥の時間」と「夫婦の時間」、時間においても立体的なのである。
 

(つづく)


 

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