(1)村の井戸 ―石巻市大川で―
(2)迫撃砲
僕が生まれたのは石巻ですが、長い間育ったのはその隣にある矢本(現在の東松島市)なんです。その矢本に海軍の飛行場があって、戦争に負けた時に海軍の飛行場はアメリカの軍隊に捕られたんです。僕らは子供の時にアルバイトをしようと思ったんですが、少し年を誤魔化さないとならないんです。だから僕は18歳になったって誤魔化して、夏休みにそこでアルバイトをしたんです。一日いくらだと思いますか?一日働いて360円。当時の1ドルです。そんなアルバイトをしていたある時に、40~50門くらい迫撃砲が並べられたんです。アメリカの兵隊が僕らのところに「この迫撃砲を綺麗に掃除しなさい」と命じたんです。僕らはバケツに水を汲んでそれらを掃除しました。その迫撃砲はアメリカ軍と一緒に朝鮮戦争に行きました。そしてその迫撃砲が朝鮮戦争で活躍したということを後で知ったのです。それについての詩です。
石巻のひとたち、東松島のひとたちはだいたいズーズー弁なんです。ズーズー弁というのは、「ひ」の発音が「し」に、「ち」の発音は「す」になるんです。例えば『はし』と言うと、渡る『橋』なのか食べるときに使う『箸』なのか区別がつきません(発音的には『はす』という方が音のイメージが近い)。そんなわけで、東京に行ってズーズー弁使うと皆笑うか、変な顔をするんです。私は東京行く前に標準語の勉強を一生懸命していったのですが、時々(ズーズー弁が)出るんです。そうなると相手から、「やっぱり東北の方ですか?」って言われるんですけどね。
仙台に住んでいた母が夏になると、僕の所に来るんです。そうすると、僕の子供達にズーズー弁で喋るんです。そうすると子供たちは『ハイ!ハイ!』て言うことは聞くんですけども、(ズーズー弁で)「何々しなさい」ていうのが通じないものですから、ハイ!って返事しても通じてない。言われた事をしないものですから、母は『ハイって返事はしてくれるけども、言うこと聞かない』って怒るんです。けど、そもそも通じてないんですよ。
ある時、子供たちが僕に『お父さんたち、恋愛するときや結婚するとき、どうやって申し込むの?』て聞くもんだから、こういう風に申し込むんだよって教えて、それを詩にしたのが『プロポーズ』という詩です。
子供らはこれを見て『本当かい、お父さん?』てゲラゲラ笑ったけど、だけどこういう風にして昔はプロポーズしたんですよ、農家だから。『あんだば好ぢだぞ』って、言ったと思うんですよね。『嫁こさなってけねべが』って。「私はあなたが好きです。愛してます。結婚して下さい」って標準語の世界ですけど、向こうのズーズー弁の世界ではそうじゃないんです。そう思って、この詩を書きました。
(4) 詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと
なぜデニス・レバトフが『詩ではないかもしれないけど、どうしても言っておきたいこと』を書いたのでしょうか。あるユダヤ人は特に愛国的で、隣に住んでいるパレスチナ人を平気で迫害します。都合が悪くなると簡単に殺してしまいます。しかしユダヤ人とパレスチナ人は同じような人種です。どちらもセム族です。ヘブライ語とパレスチナ人たちの使う言葉は、全く違った言語ではないようです。例えば、「こんにちは」ヘブライ語では「シャローム」ですが、パレスチナ人たちは「サレム」と言って挨拶します。ユダヤ系のレバトフは、「パレスチナ人は我々と同じ種族だ」と言っています。ユダヤ人が同じ人種を殺すなんてとんでもない、と怒ります。彼女は勿論どんな殺し合いにも賛成しません。
彼女の父はユダヤ人です。かなり著名な哲学者でした。お母さんはウエールズの人で、クリスチャンでした。それで「もし両親が生きていてこの有様を目にしたら、ひどく悲しむだろう」と書いています。この詩を受けて、私もこの「詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと」という詩を書いたのです。彼女の詩集には戦争と平和についての作品もかなり入っています。同名の私の詩集にも戦争と平和の作品がかなり入っています。
☆抄録:三品吏紀(みしな・りき) 北舟句会
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