2014年7月29日火曜日

『りっきーが読む』 ~第14回の句会から~ (その3)



『 りっきーが読む 』 (その3)

 ~第14回の句会から~

三品 吏紀
 

 古地図にもありし街の名心太       河野美奈子

こういう句があると本当に「えっ?そんな町があったの?」と一瞬信じてしまいそうになる。思わず本当に調べたほどだ(笑)*1 「心太」と漢字にしたことで、目から入るイメージが先行し、上五中七のくだりが生きてくるのだろう。
「ところてん」と平がなにすると、この句の面白味が半減してしまうような気がする。今句会で取り合わせの味が上手く出ている代表作の一つだと思う。



 夏の歩道橋母似の人のうしろ行く    福本東希子

歩道橋から臨む景色は、いつもと違うもの。空を見上げればいつもより空が手に届きそうで、街を見下ろせば人や車、家々を見下ろす形になってちょっとした優越感に浸れる。
だがこの句は空でも街でもなく前を行く女性を景の中心にしている。

小さい頃、母と一緒に買い物していて、母の後ろをついていたつもりがいつの間にか別人の後ろにくっ付いていたという事がよくあった。作者もそんな思い出を一瞬よぎらせてこの句を作ったのだろうか。歩道橋は大抵通路が狭いから、前の人の歩みが遅くても中々追い抜くということはしづらい。ほんの何十メートルを母似の人の背を追う中で蘇る、幼い日の記憶。
それは本当に、場所も時も関係なく唐突に起こるものだ。



 半袖の恋人に待たるる心地        山田   航

自分はやっぱり男なんだなぁ。つくづくこういう句に惹かれてしまう(笑)
ノースリーブやタンクトップでは露骨過ぎてこの情緒は出ない。半袖なんですよ半袖。ここポイント(笑) 前にも書いた「静かな色気」がこの句にも感じられる。

夏なのだから半袖なんて普通の事なんだけど、しなやかに晒している腕を眺めると、これから過ごす一日を思い、心が色んな意味で揺らぐ様子が感じられる。
恋愛が一番楽しい時期のそんな瑞々しい印象を受けた句だ。
 


 旅先や蜜の変るる心太           村元 幸明

唐突だが「フレンチドッグ」という食べ物をご存知だろうか?
魚肉ソーセージをパンケーキの生地でコーティングして油で揚げた、スティック状の食べ物だ。

このフレンチドッグ、私が住む北海道内でも実は地方地方で食べ方が違うという事を最近知った。
私はフレンチドッグにはケチャップが当たり前だと思っていたのだが、ある地域では砂糖をかけるのが普通だという。この事には本当に驚いた。
心太も酢醤油で食べたり、黒蜜をかけたりと地域でぐっと食べ方が変る。食というのは本当に奥が深い。同じ国内でガラッと様変わりしてしまう。
そしてそれを味わうのが旅の醍醐味。心太をきっかけとした「未知との遭遇」をさらりと詠んだ句なのではないかと思う。



心太恐らく性別は女              後藤あるま

今句会で投句された作品の中で、一番読むのに悩んだ句だ。
目に飛び込んでくる文字から来るイメージ、読んで耳から来る音のイメージ、その両方を合わせてもはっきりとした景が浮かんでこない。バラバラなのだ。
「心太」。漢字でこう書くと男の人の名前でありそうだ。しかし中七からのくだり「恐らく性別は女」ここでいきなり否定されてしまう。むぅう。
続いて「ところてん」と音でイメージしてみる。
確かにあのツルツルっと箸から逃げる、しなやかに軽やかに捉えられないのは女性の心と一緒。
だから恐らく性別は女ということか。いや、しかし・・・。 うーむ。
でもこうやって好き勝手に考え悩むのも楽しいのが俳句の醍醐味の一つ。 人それぞれ浮かぶ景は千差万別。 作者の意図せぬ解釈で笑いが起きたり、逆に自句自解で句のミステリーが解けたりと、本当に奥深い楽しみがある。
この句は今句会でその一つになったのではないだろうか。
 

(最終回に続く)


*1 道産子には納得の句評でありますが、読者のお住まいの地域によっては不明な方もお出でかと思い老猫心よりご説明。
北海道にはアイヌ語を語源とする「put」を持つ地名が多くあり、「空知太」「当別太」「漁太」といったものを国道の看板などで目にされることが多いと思います。筆者の住まう帯広では「十勝太」がございます。以上雑学にて。


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