2014年9月10日水曜日

「俳句甲子園ぶらぶら」 ~俳句甲子園観戦記 ・ 堀下 翔~



 俳句甲子園。面白い話だと思う。松山のふつうの商店街に、全国あっちこっちから高校生がやってきて、真剣な顔で俳句のことを喋る。そこにいる人はほとんど俳人。高校生、審査員、観客、ほとんど。そりゃ「なんだこのイベント邪魔くせえな」と思ってる松山市民も大勢いるのだろうけど、それでもこの光景はちょっと感動的である。石を投げたら俳人に当たる。この光景を見たくて筆者も松山に行った。いちおう母校・旭川東高校につきっきりだったのだけれど、旭川東の奮闘は現役生がすでに書いているので、こっちは思ったことをぼちぼち述べてみる。ほとんど雑談である。詳細は公式ホームページに出ているのでそちらをご覧いただきたい。優勝は開成高校、準優勝は洛南高校だ。
 
 まったく関係のないことから始める。
 
 高校生俳句には、ある種の類想が頻出する。おじいちゃんがどうである、とか、告白がどうである、とか、帰り道がどうである、とか。これは単に思い出だけれども、ある高校文芸コンクールの俳句部門で全国の高校生俳人が作品を持ちよったとき、下五に「帰り道」を据えた句がたしか3句もあった。そりゃ高校生、一日でいちばん楽しいのは帰り道かもしれないけれど。こんなふうに、高校生俳句を集めたら似たり寄ったりの句が必ず出てくる。

 これらを生み出すのはおそらく俳句にほとんど触れていない作者である。高校生俳句(というより子供俳句全般と言った方が正しいが)の多くが学校の宿題であるという実情がある。俳句甲子園組にしても、彼らのなかで純粋な「俳句部」に属している者はさほど多くない。大多数は「文芸部」としてふだんは小説や詩を書いていて、部活動の一環として俳句甲子園に来る。5人1チームという大会のルール上、俳句をほとんど作ったことのないままチーム入りする生徒もいる。だから彼らは、俳句で何を表現できるのか、よく知らない。彼らの手にあるのは「どうやら自分はこれから5・7・5で何かを書かねばならないらしい」という状況だけである。虚子も草田男も兜太も軽舟も彼らの知識の範疇ではない。結果として彼らが5・・5に詠むのは目の前にあるごく身近なことがらとなる。 

 それでいいと思う。目の前にあるものを詠む。間違いなく、俳句との正しい付き合い方である。だからこそ類想の塊のような句が毎年あちこちのコンクールで入賞している。そんなところから出発した一部のがきんちょたちが「褒められたし、俳句、おもろいかもな」なんて思って、おもむろに句集を手に取ったりNHK俳句を見はじめたりするのだろう。
 

 えーと、俳句甲子園の話。とにかく、高校生たちは、俳句甲子園に来る。スタンスはそれぞれである。「あの中原とかいう風流なおっさん、審査員だったんか!」「きゃー、あの高柳っていう先生、超イケメン~~」みたいなのから、「やっぱあたしたちの教科書は『新撰21』だよね」「神野さんのサインもらっちゃった」みたいなのまで、まあいろいろである。もっとすごいのになると「なんでみんな阿部青鞋読まないのかな・・・・・・」「私、富安風生が好きです」「卒業したら〇〇に入会する!」「おいらは□□!」「先輩、今月の『俳句』の中沢新一と小澤實の対談どう思う?」なんてのもいて、まあいろいろである。 

 で、彼らが俳句を作って、大人に見せる。するとたいていこう言われる。「高校生らしさがあっていいね」(OR「もっと高校生らしくなくちゃ」)。俳句甲子園に限らず高校生俳人の通過儀礼である。言われてない高校生はモグリ。今年の松山でも何回か聞いた。 

 高校生らしさ。なんだそれは。褒められた方はとりあえずうれしいけれど、他方「もっと高校生らしさがほしいね」なんて言われた側にしてみればこんな災難はない。こちとら虚子を目指してるんだぞ・・・・・・ってのは少数派だけれど、そうでなくても大人から「高校生らしさ」を押し付けられていい気分はしない。 

 でも大人が求める高校生らしさってそんなに変な価値観なのかしら。ちょっと立ち止まってみたい。今年の俳句甲子園の句を思い出しながら。


 炎天を来て美しき祖母見舞う   小場佐 名優(熊本信愛女学院高校)

 
 小学校の道徳の授業で、お婆ちゃんを「きたない」と思ってしまう子の話を読んだ覚えがある。子供にとって年寄は、ときに、ものすごく理解しがたい。体も顔も自分と全然違うし、手ぇ洗わないし、唾とばすし。年寄に苦手意識を持つ子供は多い。そんな彼らが少しだけ成長して、あるとき祖母を美しいと思う。そういう時期がある。老いた人への理解かあるいは自分の感受性の変化か。炎天の道を来た作者の引き締まった顔が見える。


 炎天や勝って干される柔道着   野嵜 大也(愛光高校)


 柔道着のごわごわ感が、炎天の下にリアリティをもって立ち上がる。干す、じゃなくて、干される、なのが即物的。その即物性に「勝って」という経緯を付与した面白さがある。高校生、どう客観的に見ても、頭の半分は恋か部活だ。一戦一戦が自分そのもの。そうして手にした勝利の実感を柔道着に託す。実感とリアリティが互いを支えている。 

 美しいという実感、勝ったという実感。いきいきとした実感にはタイミングがある。ああ、ほんとうにこんなことがあるんだろうな、とため息の出る句を見たい。おそらくそんな句のことを誰かが「高校生らしい句」と呼んだのだ。これは言葉が悪い。大人が「高校生らしく」なんて言ったらまるで枠組みを押し付けているようだ。そうではない。90歳には90歳の、40歳には40歳の、17歳には17歳の実感がある。それを無視して背伸びをした句が「高校生らしくない」と呼ばれるだけである。


 生まれたる病院失せて大文字   渡邉 玉貴(洛南高校B


 ノスタルジーは大人の特権ではない。追憶はおとなだけの遊びではない。自分の生まれた病院が、十数年経ってなくなってしまった。自分はまだ若い気でいたけれど、時間は確実に流れていた。そんなところから、人間に流れる時間の理不尽をはっきりと意識する。それまで単に壮麗なイベントとしか思わなかった大文字が意味を持って見え始める。土佐高校の宮﨑玲奈の句「昭和を映す鏡を売っている夜店」もまた高校生のノスタルジーか。夜店のおもちゃを見ていると、ときどき大昔のテレビ番組のキャラクターが混じっている。掲句の「鏡」はそれらの比喩である。あるいはもっと実際的にキャラクターのプリントされた鏡でもいいが。・・・・・・と書いて気づいたけれど、だとしたらこの句の原型はひみつのアッコちゃんのコンパクト――女の子の鏡の王様だろう――そのものかもしれない。とにかくこの鏡と出会うことで、作者の眼前に昭和という時代が立ち上がる。自分の知らない時間に対する興味と憧憬。昭和って何だ。その気持ちをノスタルジーと呼ぶのが正しいかどうか知らないが、高校生ならだれしもが持ち合わせている感情なのは間違いではあるまい。


 額に汗俺のカルビを裏返す     石丸 雄大(愛光高校)


 俺のカルビを裏返すッ。自分のカルビは自分で裏返すのだという強い意志。かっけー。高校生、焼肉が楽しくて楽しくて仕方のない年頃である。友達と一緒に焼肉に行く。俺のカルビの隣にはあいつのカルビがある。もちろん、だれのものでもないカルビはすべて俺のカルビである。


 留学を決めたる友と夜店ゆく   田村 明日香(慶應義塾湘南藤沢高等部)


 高校生の間でも長期留学はよくある話。一年、たった一年であってさえ、高校時代が三年しかないことを思えば、欠落は三分の一に亘る。このさみしさはちょっと言いようがない。非日常の遊び場である夜店を歩きながら、だんだんと友が日常から切り離されてゆく。詠者はその揺らぎを捉えた。

 
 実感はむろん年齢によってのみ導かれるものではない。物をじっくりと見る。吟行へ出ようぜ、高校生。夜店を詠みにいこうと誘えば、女の子とデートできるし(と言っていたのは、OBの小鳥遊栄樹だ)。


 わたあめを抜ける夜店の明かりかな  岸野 桃子(広島高校)


 重さがなくて繊細で、わたあめはほんとうに魅力的な姿をしている。砂糖を熱して飛ばすだけでかくも心の騒ぐものが生まれるとは俄かには信じがたい。袋から取り出したわたあめを顔の前に運ぶ満足感。そのわたあめに透ける夜店の灯。甘そうな光である。夜店という場の気分のよさがこのあわあわとした光に集中する。


 プラカードガールや汗を拭かぬまま   木村 杏香(旭川東高校)


 甲子園か何かの試合。プラカードガールにはプラカードガールの本分がある。学校を背負っていちばん熱く戦うのは自分ではなく選手たち。彼女はただじっと立つだけ。そんな彼女の姿を、プラカードガールや、と大きく提示して、あとは、その汗のみを言う。拭かれない汗が彼女そのものである。


 流星は象の余生のしづかさへ      森 優希乃(松山東高校A


 老象へと流れる星の、画的な強さ。ほんとうはこの文脈で引用する句ではないかもしれないけれど、それでも持ってきたのには理由がある。同世代の俳人として森の句に触れてきた筆者として言えば、彼女は動物を見るのが好きな俳人である。たとえば昨年度の俳句甲子園の優秀賞句に「背に水を撒けり大夕焼の象」、同じく昨年度の神奈川大学全国高校生俳句大賞の最優秀賞句に「鰐の背にたまつてをりし冬の水」がある。松山東高校は吟行を大事にしていると聞く。これらの句も動物園に通ったうえでの産物ではないか。一見頭で作ったように見える掲句も、吟行を通じて手にした「象の余生」の実感であるにちがいないと、これは鑑賞でもなんでもないただの傍白だけれど、そう思うのである。


 「あ」「見えた?」「見えた」「私も」流れ星  徳山高校(敗者復活戦)


 敗者復活戦の句(チームで一句のため作者は明らかにはされず、合作の可能性もある)。鍵括弧の使用自体はさほど目新しい趣向ではないが、その使用は効果的であり、よく見ている句だなと思わされる。上五「あ」の字足らずが「あっ」と書くよりもよりリアルな呼吸を生み出している。この会話が二人のものか四人のものか定かではないが、星を見る二人――恋人かもしれない――というまるでありふれた景よりも、友人四人で歩いている夜と見たほうが面白い。A「あ」B「見えた?」C「見えた」D「私も」。おしゃべりな女子高生の仲のよさが、会話そのもののデッサンによって立ち上がっている。


 ああ、喋りすぎたかもしれない。そう思ったところで試合のことをほとんど書いていないことに気が付いた。といっても先に記した事情で、旭川東がベスト6で惜敗する前の試合を知らないので書けることは限られている。あえて記憶に残る一試合を挙げるならば、準決勝、愛光高校VS洛南高校の第4試合である。洛南高校Bに二勝を許してあとのない愛光高校が出した句に会場はどよめいた。


 活動写真の家族の正座百日紅    野嵜 大也(愛光高校)


 高校生が活動写真を持ってきたか、と思った。審査員の中原道夫や正木ゆう子も試合後に揃って「自分たちも活動写真は知らないのに」という旨をコメントしている。というか現役高校生のなかには活動写真が何なのか知らない者も多くいた筈である。そう断定せんとする根拠がある。試合を聞いていくうちに判明したが、両高校の選手たち自身が活動写真をよく分かっていなかった。洛南高校Bの「活動写真ってトーキーのことだと思いますが・・・・・・」という正確ではない発言から試合は始まる。愛光高校は「むしろ一般的には無声映画を指す言葉だ」と指摘はしたものの、ディベートが進むにつれ「家族のようすを撮ったもので、めったに撮るものではないから緊張して正座している」「作者はyoutubeで芥川龍之介の生前の映像を見たりするのが趣味」という説明を展開する。誰も指摘しなかったけれど、愛光高校の言いたかったのは活動写真ではなく家庭用8ミリのことではなかったか。NHK『探検バクモン』第6回「究極のお宝映像を発掘せよ!!~NHKアーカイブス」(2012年6月6日放送)に久米正雄が個人的に撮影した「芥川龍之介の木登り」の8ミリが出てきたのを思い出す。果たして愛光高校の選手が趣味で見た動画が久米の8ミリと同一かは知らないが、youtubeで見た芥川が掲句の原点だとしたらやはり「活動写真」の語は的確ではない。
 
 それでも、この句は勝利した。洛南高校Bの句は「遠雷やはたと倒れる写真立て」(千貫幹生)で、審査員の旗は愛光高校に10本、洛南高校Bに3本揚がった。その理由は作品点そのものの高さにある。愛光高校の作品点の合計は130点中96点、洛南は90点(鑑賞点も愛光高校が高いが1点差であった)。試合後の評において高野ムツオは「正座」は活動写真を見ている家族のものだとする鑑賞を述べている。それならば一つ目の助詞は「の」ではないのではないかとも思うが、活動写真にもっとも近い世代の高野(と本人が言っていた)の言葉だからその方が景としては強いかもしれない。筆者は言葉通り活動写真に登場する家族を思い浮かべたい。活動写真は虚構上にあるけれど、映像であるゆえにそこには現実の空気感がうつりこんでしまっている。ある家族の姿に垣間見る戦前。詠者がyoutubeで古い映像を探すのはきっと、過去をのぞき見する快楽を知っているからであろう。だからこの映像が活動写真であろうと8ミリであろうとそれは問題ではない。詠者は実感を書ききっている。掲句がいきいきとして我々の目に映るのはそんなところに理由がある。



 毎年、俳句甲子園の季節となるたびにOBOGたちはこんな言い方をする。「今年はどんな句に出会えるだろう」。次から次へと俳句が語られるこのイベントの楽しさを言い得ている。そして俳句甲子園は幕を閉じ、こうつぶやかずにはいられなくなる。来年はどんな句に出会えるだろう。また、行きたい。 


☆堀下翔(ほりした・かける)
1995年生まれ。旭川東高等学校文芸部OB。「里」「群青」同人。現在、筑波大学に在籍。


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