2014年9月15日月曜日

俳句集団【itak】第15回イベントを終えて


俳句集団【itak】第15回イベントを終えて

「 経験の総和より大きな・・・ 」
 
五十嵐秀彦


 


今回も57名の方々が参加しにぎやかなイベントとなりました。

もう15回…。まだ15回…。さまざまな思いが浮かびます。

前回学校のスケジュールの都合で参加できなかった琴似工業高校の生徒さんたちも今回は1年生が6名も参加。そして旭川東高のOB2名、琴似工業のOB1名、そうそう忘れてはいけない、小学生が2名と、次へ繋がってゆく世代の顔ぶれがありがたく、そして頼もしかったです。

 

第1部の講演、平倫子さん(俳人、北星学園大学名誉教授、itak幹事)の『ラフカディオ・ハーンの真面目(しんめんもく)~「一つの民族の経験の総和よりも大きな記憶」をキーワードに~』では、ハーン没後110年の今年という時機を得た発表であり、とても内容豊かなお話を聴くことができました。

ハーンの短編「門つけ」で、盲目の女の門つけ歌(瞽女歌でしょうか)を聴く人々の様子から、経験の総和より大きな記憶がこだまのように目をさますのに気づいたということが書かれているところから始まり、それが竪琴弾きのジプシーの門つけを見たハーン自身の幼い日の記憶にも通じるものであったこと。それが長じてしだいに異教思想に傾斜していったハーンの資質のようなものでもあったことを今回の講演で初めて知ることができました。

それは文芸の奥底にひそむ大事なものを教えていただいたようにも思うのでした。

後日抄録が当ブログに掲載されますのでお楽しみに。

 

第2部の句会もにぎやかに行われました。

小学生から80代のベテランまでの幅広い世代が対等に座の愉しみを共有できる。これこそ句会の醍醐味、相聞のうたとしての俳句文芸の原点だと思います。


交流に多くの言葉は必要ありません。投句し選句をする、その行為そのものがいのちの交感であり相聞なのでしょう。

俳句や短歌のような伝統短詩は、この国の言葉の歴史をどこまで遡っても源流を見つけられないほど長い時間の流れの中に、民族と個人の経験を積み上げてきており、そしていまこのときに現代の生き生きとした創作として存在し続けています。

それを共有するのに、かならずしも長い修練を必要とするわけではなく、日本語の海を泳ぐ者は誰もが平等に句座をともにできるのです。

無記名の投句一覧を見てもその中から小学生や高校生の句を正確に言い当てることはむずかしいものです。誰もが平等に参加できてすぐに俳句を通して交流しあえる句座というのは、とても大切なものだとあらためて感じました。

 

今回、初めての試みとして司会とともにコメンテーターが句会進行に合わせて作品へのコメントを適時出していくということをやってみました。

そのコメンテーターを橋本喜夫さんがつとめてくれて、句会を一層盛り上げる効果があったと思います。これからもできれば交代制でコメンテーターを入れていこうと考えています。

 

今回はイベント冒頭で、北海道俳句協会事務局長の田湯岬さんから、同協会に関する説明と9月末に迫った投句および入会をお薦めするお話をしていただきました。

北海道俳句協会もitakと同様「超党派」の組織です。itakと同協会は「運動」と「組織」の違いはあるかもしれませんが、しかし互いに協力し合うことで北海道の俳句の世界を活気づけていけるのではないかと思います。

itakの事務局に申し込み用紙がまだ少し残っておりますので、関心のある方はitak事務局メールアドレス(itakhaiku@gmail.com)までお問い合わせください。

 

次回第16回イベントは、11月8日(土)午後1時~4時50分、北海道立文学館講堂。
第1部講演は、十勝在住の獣医師・俳人、安田豆作さんの「重種馬の生産の現状と、馬の俳句」が予定されております。ご期待下さい。

 

もうひとつうれしい情報があります。

今回のitakの翌日日曜日に、俳句甲子園OBの呼びかけで現役高校生(琴似工業高校と石狩南高校)たちが集まり新しい句会が始まりました。

名前は「氷菓句会」だそうです。

これからも不定期ながら継続されるようで、その句会の様子もこのitakのブログで紹介してまいります。
 

ご参加の皆様、お疲れ様でした。
11月に再びお会いいたしましょう。

 

 

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