2015年11月24日火曜日

俳句集団【itak】第22回句会評① (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第22回句会評①

  
2015年11月14日


橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 いまプレミア12で日本が韓国にだらしない逆転負けを食ったばかりなので、大変テンションが下がっている。なので、あたりちらしてしまいそうだが、大人なので、落ち着いて今回の句評はじめてみたい。22回にもなるのに64人という句会参加数。北海道というか札幌の俳句の世界の可能性を感じる数でもあり、嬉しい限りだ。さてなるべく多くの佳品を拾ってゆきたい。


 息白し炭つぎ湯たち茶がひらく    高畠 町子

 無点句ではあるが、当初から気になっていた。つまり俳句のタブー的なことをわざとに沢山おかしている感じがしたので(もちろん初心者で思わずやってしまったかもしれないが)。季語のあとに、畳み掛けるように「炭つぎ」「湯たち」「茶がひらく」と動詞を三つも使ったこと。もうひとつは「炭」「息白し」という季重なり。私が面白いと思ったのは、炭を継いで、お湯をわかし、やがて湯たち、その湯を茶葉にそそぎ、茶葉がゆっくりと開いた という時間経過を隈なく表現しているのだ。結果として湯呑茶碗のなかに、ゆっくりと茶葉がひらいてくる景が立ち上がってくる。作者が表現したい景がわかるのだ。だからこの句の欠点は上記のタブーを犯したことではなく、むしろその景と「息白し」という季語のミスマッチに尽きる。上五に作者のゆったりした豊潤なひとときを味わっているような感覚の季語をつければよいのだ。


 寄せ鍋の底まで浚い切り無言     青山 酔鳴

 私は地でいただいた。「寄せ鍋の底をつつく」とか「寄せ鍋を食べているもの同士が見つめあう」とか、そんな句はごちゃまんとあるが、「浚い切り無言」の止めがいかにも秀逸である。今の私のようにテンションが下がって無言なのか、満腹感にひたって無言なのか、二人の間に気まずい空気が初めからあり、それを払拭するため必死に鍋底を浚っていたのだが、それすらもやり切って、とうとう黙り込むことしかできなくなった景なのである。


 スーツケース引きずり冬の嵐来る   久才 秀樹

 取り合わせというか二物衝撃の句なのだが、「スーツケース引きずる」ことと「冬の嵐が来る」という関係性が意外に遠いようで近い気がして、決して荒唐無稽ではない。スーツケースを引きずる という措辞が「冬の嵐」をうまくメタファーしていると感じられた。


 逝き遅れ蜻蛉尻から灰となり      高畠 霊人

 「晩秋の塩辛蜻蛉」であろうか、まだよろよろと生きている蜻蛉が尻から灰になっているという表現は秀彦氏も語っていたが、シュールであるし、いままであまりされていなかった表現である。詠んでいる内容はよいのだから、あとは俳句として「切れ」を出したいところ。「灰となり」という連用形止めはどうしても川柳フレバーになりがち。だからせっかくの表現も川柳的な「穿ち」ととられても仕方がない。たとえば「逝き遅れ尻から灰となる蜻蛉」と体言止めにするのも一案である。


(つづく)




 
 


 

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