2015年4月22日水曜日

俳句集団【itak】第18回イベント抄録【㊦】



俳句集団【itak】第18回イベント

『 震災と俳句 』


講演 栗山麻衣

俳人 銀化同人・群青同人  北海道新聞記者
 
2015年3月14日 札幌・道立文学館




震災と俳句㊦ 

 ㊤に続き、栗山麻衣さんの講演「震災と俳句」の詳報㊦をお伝えします。


②これまでの震災詠

★関東大震災(1923年・大正12年)

<京極杞陽>

1908年東京生まれ。子爵の長男。「都踊はヨーイヤサほほゑまし」「うまさうなコツプの水のフリージヤ」など、なんとなく、あっけらかんとした独特の俳句の名手です。そういう印象で、エリートの人とも思っていたのですが、15歳のときに関東大震災に被災しています。震災では、お姉さん以外の祖父母、父母、弟妹を亡くすという過酷な体験をしています。1936年、28歳の時にヨーロッパ留学中に虚子と会い、俳句の道へ進みました。1940年にホトトギス同人になっています。震災忌を季語とした句を残しています。 

「電線のからみし足や震災忌」(1958年)

「燃えてゐし洋傘や震災忌」
 

この俳句を作ったときは50歳くらいになっています。阪神大震災に遭われた俳人の山田弘子さんが、京極さんについて解説した文章で「(関東大震災で被害に遭った)後になって、これだけ生々しく詠むことに対して戦慄する」と紹介しています。

京極さんは「すぐれた芸術は心の慰めであるばかりではない。それはもっと心を鎮めるものである」「何か知らないが沈黙を要する世界なのだ」(結社誌「ホトトギス」の俳論)と書いています。単になぐさめではなく、もっと深いところに届くものだと言っています。

 

「震災忌向あうて蕎麦啜りけり」(久保田万太郎、亡くなる3年前、1960年の作)

「ずり落ちた瓦ふみ平らす人ら」(河東碧梧桐)

→碧梧桐さんは51歳で被災。渡辺誠一郎さんは「淡々とした諷詠の中から被災している実感が確かに伝わってくる」(小熊座俳句時評)と評しています

 

「焼跡にまた住みふりて震災忌」(中村辰之丞、歌舞伎役者)

「天の川の下に残れる一寺かな」(永田青嵐、東京市長)

→浅草寺について書いたものです。

「琴の音のしづかなりけり震災忌」(山口青邨)

 

関東大震災(大正12年)よりも前に作ったものもあり、関東大震災の震災詠ではないかと思いますが、小説家の内田百閒も地震の俳句を作っています。

「地震多き半島国や春寒き」(内田百閒、明治42年、1909年)

「茶の花を渡る真昼の地震かな」(1934年)

 

<高浜虚子>

今回、いろいろ調べている中で、あらためて虚子のすごさを感じました。虚子は時事俳句に懐疑的です。「社会問題、労働問題を俳句として取り扱うことに疑問がある」「俳句は極楽の文学である」(俳句への道)と言っています。

時評の孫引きで恐縮ですが「あんな地震になると短い俳句で何が描かれやう、何が歌へやう(中略)さういふ場合に名句を作るといふやうな芸当は私には出来ない」(虚子消息)と関東大震災について述べています。

 

<鷹羽狩行>

鷹羽狩行さんは阪神大震災後に「関東大震災は『震災忌』という季語になっています。季語として歳時記に載っているために、少なくとも俳句を作る人は、この季語で俳句を作り、過去の震災の出来事を思い出し、死者を悼み、そして、防災の心がよみがえってくるのではないか」(俳人協会の総会)と、その季語の効用について語っています。

 

★阪神大震災(1995年・平成7年1月17日)

 阪神大震災の後にも震災詠があります。いくつか紹介します。

<永田耕衣>

「白梅や天没地没虚空没」(永田耕衣)

「枯草の大孤独居士ここに居る」(同)

→永田耕衣さんは 94歳で被災しました。神戸市須磨区の自宅が全壊。大阪府寝屋川市のホームに移り、97歳で亡くなりました。

 

<稲畑汀子>

「災害といふ枷のなほ春隣」(稲畑汀子)

「春の水甦りたる蛇口かな」(同)

→稲畑さんも兵庫県芦屋市の自宅にひびが入る被害を受けました。その際に句を残したり、新聞のインタビューなども受けています。

 

<山田弘子>

「放心をくるむ毛布の一枚に」(山田弘子)

「倒壊の屋根を歩めり寒鴉」(同)

→山田弘子さんは、神戸市で被災。大災害は免れましたが、句友らが被災しました。「円虹」という作ったばかりの結社の初句会の翌日だったそうです。さりげない中に過酷な現実の切り口が見えるような句があります。

 

<和田悟朗>

「寒暁や神の一撃もて明くる」(和田悟朗「舎密祭」)

「仏壇の転がつている冬日中」(和田悟朗「舎密祭」)

「天地はまだ裂けずあるさくらかな」(和田悟朗)

「海底へわが誕生を見に潜る」(和田悟朗)

→先日訃報が出ていましたが、和田さんは当時、神戸市東灘区の自宅で被災しました。後ろの2句は、震災詠ではないですが、今回、東北の大震災の後にこの句を詠むと、海の底のイメージが、ちょっと違って見え、身に迫ると思って、挙げました。

 

「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」(友岡子郷)

「救援のものの中より懸想文」(後藤比奈夫)

「寒餅の切口見せて高架落つ」(吉田勝昭)

  →後藤さんと吉田さんの2句は、朝日俳壇が募集した「阪神大震災を詠む」の中の句です。ちょっとユーモア、人間愛的なものだという小川軽舟さんの俳句についての言葉がありましたが、こうした句にも、確かにどこかユーモアがあり、面白いなと思いました。

 

③俳句以外の表現

<短歌>

岡野弘彦「美しく愛しき日本」

「日本人はもつと執ねく怒れとぞ思ひ、八月の庭に立ちゐる」

「怒りすらかなしみに似て口ごもる この国びとの 性を愛しまむ」

「身にせまる津波つぶさに告ぐる声 乱れざるまま をとめかへらず」

→歌会始の選者なども行っている有名人ですが、一字空けや読点を使うなどいろいろな試みをしている方です。「をとめ」の歌は、津波でも最後まで放送で避難の声を掛け続けて亡くなった公務員の女性について歌っているのかなと思います。

 

佐藤真由美「恋する言ノ葉」

「どうしたらいいのかはまだわからないから考えている今を書く」

→ポップな歌が多い人のようです。自分との向き合い方をを歌っています。

 

長谷川櫂「震災歌集」

「みちのくの春の望月かなしけれ山河にあふるる家郷喪失者の群れ」

「原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ」

「みちのくの閖上の港かなしけれ赤貝あまたあまた死滅す」

→長谷川さんは震災の後、すぐでてきたのは、俳句ではなく短歌だった、次々と短歌が生まれて一冊にまとめざるを得ないと言っていました。その在り方に批判もありますが、私の同僚記者は「取材したほうがいいかな」と言っていました。当時のマスコミ的には、震災にビビッドに反応した文学者という面がやや過剰に評価されたのかもしれません。私は「ビミョーだなあ」と思いつつ、紹介されること自体は良いことだとも思いました。何かを残そうとする試みは大事なことだと思うし、忘れ去られるよりましだと思うからです。作品については「なるほどな、ふ~ん」と言う感じです。どこから見ているのか、上から目線なのかと思ってしまいます。どうしてもテレビを見て作るので、それ以上の実感や身に迫るものはないとの批判もあります。

 

「震災三十一文字」NHK震災を詠む取材班)

「大津波は町の全てを押し流し我が子の墓も瓦礫となりぬ」

「放射能は我が家の庭に満ちゐむか姿をくらます悪魔のごとく」

「死に顔を『気持ち悪い』と思ったよごめんねじいちゃんひどい孫だね」

→NHKが、短歌を軸としながら震災に迫るという番組からの作品をまとめたものです。あとがきでは、歌人の永田紅さん(母は河野裕子さん、父は永田和宏さん)は「ガンで亡くなった母が、心身ともにつらい時期が続いていた時に言っていたのは〝歌を作ることで自分を治す″という表現でした」と話しています。

 

「渚のこゑ」(NPOのアンソロジー)

「十ばかりざっくと提げもつ泥かばん小学教諭瓦礫の中ゆく」

「此奴らをおいてはゆけぬと牛飼ひは鼻面を撫で目を覗き込む」

→ダイレクトに状況を説明しやすく、心情を述べやすく、深く突き刺さってくるものが歌にはあると思いました。俳句と比べると、その分、(読み手の)解釈の余地は少なくなると思います。

 

<小説>

川上弘美「神様2011」

  →デビュー短編「神様」という短編を、放射能汚染された世界へ置き換えたものです。

佐伯一麦「還れぬ家」

  →宮城県で被災。私小説として、父を看取る前後の生活を描いていました。震災前は現在進行形(同時進行の形)で書いていましたが、震災が起きた後に「無かったことにはできない」ということで、連載中に過去を振り返る形に時制を変えるということをしました。

池澤夏樹「アトミック・ボックス」

  →毎日新聞の連載小説。日本の原爆開発の秘密をめぐる冒険記です。

高橋源一郎「恋する原発」

  →徹底的にふざけて、言葉が硬直化する中で、ふざけた言葉で本質を語ろうとしている小説だと思います。ものが言えなくなる恐怖に対抗しても書いているのかと思います。作中に「震災文学論」という章が挿入されるのですが、そこでは小説「神様」と「神様2011」について丁寧に比較しながら、「2011」を読むときに震災前の「神様」の世界が透けて見えてくる構造を指摘。作者「カワカミヒロミ」が込めた祈りのようなものについて解説してくれます。

 

吉村萬壱「ボラード病」

  →「絆、絆」と言われることに対する違和感から書かれた小説です。少女の手記の形で進行します。子どもがどんどん亡くなったり、地元の野菜が一番としながら、お母さんが自分には食べさせなかったり、どうもおかしな不気味な世界が描かれます。「絆なんて、けっ」と言うと非国民と言われそうな今の状況、違和感、疑問を小説の形で突き詰めて考えています。

 

多和田葉子「献灯使」

→大きな厄災の後、鎖国した世界を書いた小説です。多和田さんはドイツ在住で、ドイツと日本を行き来して、両方の言語で作品を書いている人です。「献灯使」は体の弱い子どもと、死ねなくなった老人が生きる世界を描きます。ディストピア小説。SFっぽい作品で、言葉遊びもたくさんあり、笑ってしまう面白さもあります。一見荒唐無稽な物語なのですが、今の日本をリアルに照射しているかのような作品です。多和田さんの言語感覚、世界観が丸ごと詰まっています。

 

奥泉光「東京自叙伝」

→東京にいる地霊、無責任で超いい加減な地霊が、幕末から現代まで、いろんな人に取り憑いて、どう生きてきたかを語る「自叙伝」小説です。現代になるにつれて「福島原発を作ったのは俺だ」などと語る、良い意味でふざけた小説ですが、日本の今の在り方、どうしてこんな社会になってしまったのかを考えさせられる作品です。谷崎潤一郎賞を取っています。

 

いとうせいこう「想像ラジオ」

→あの津波で亡くなったらしい男性がDJとなり、ラジオ放送を発信します。生者や死者、人と人とが本当の意味で支え合うというのはどういうことか考えさせられます。

 

古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」「冬眠する熊に添い寝してごらん」

→古川さんは福島県生まれ。「馬たちよ~」は震災の後、福島に行って書いたものです。「冬眠する~」は、福島原発から着想を得たと語っています。

 

<エッセーや講演録>

池澤夏樹「春を恨んだりはしない」

→ルポを書いています。ルポであり、思索の記録です。ノーベル賞作家、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」の詩を引用しています。

「またやって来たからといって 春を恨んだりはしない 例年のように自分の義務を 果たしているからといって 春を責めたりはしない わかっている わたしがいくら悲しくても そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと」

夫を無くしたときに詠んだ詩らしいですが、池澤さんは、東日本大震災の後、この詩がリフレインのように離れなかったと言います。示唆的な言葉がたくさんありますが「今もこれからも我々の背後には死者がいる」というふうに入っています。

 

 

佐伯一麦「震災と言葉」

→自宅は高台にあり、被害を免れました。自分は、近くの温泉に行っていたときに、これまでにない揺れを経験して、家に何とか戻ったそうです。電気・ガスも止まり、水もない生活になったそうです。津波をテレビで見なかったので当初は分からなかったが、ふと気付くと窓から見た景色が変わっていて、びっくりしたと言っています。佐伯さんは、今の日本になってしまった原点は1970年にあるのではないかと考えています。福島第1原発が試運転を始め、三島由紀夫が割腹自殺をした年です。経済成長もピークとなり、本当はそこから緩やかに下降するはずだったのを認めず、原発に象徴される技術革新や効率化で乗り切ろうとしたツケが今出てきていると指摘しています。

頑張ろうとか、前を向ける人は大丈夫だが、ふて寝を決めこんだり、悲しみを抱えた人に寄り添うことが大事なのではないかとも言っています。佐伯さんの『震災と言葉』というブックレットには、佐伯さんの思索の末の講演が詳細されています。

太宰治の「ヴィヨンの妻」について、「直接描写せずとも、戦後の焼け跡の雰囲気が濃厚に漂うある種の男女の神話が描かれている。震災についても、そういう作品が出てきてこそ文学として昇華されるのではないか」と話しています。

 

2011年7月に、震災後初めての芥川賞・直木賞の取材をした際に、どちらが良いか悪いかではなく、純文学とエンターテインメントの違いというのを感じる出来事がありました。エンターテインメント小説を対象としている直木賞の選考委員の伊集院静さんは、池井戸潤さんの受賞作「下町ロケット」に対して「震災で少し落ち込んでいる中小企業を救済する良い作品という意見があった」と解説しました。

純文学を対象とする芥川賞は受賞作が無かったのですが、その議論とは別に「震災が何か選考に影響を与えたか」という記者の質問に対して、選考委員である山田詠美さんは「そのことに関してはまったくありません。なぜなら芥川賞という小説に関して、即座に何かをするものではないという認識が皆さん(選考委員)にあったからだと思います」と話し、震災が純文学の形で結晶化するのには時間がかかるのではないかという見方を示しました。

個人的には昨年、「ボラード病」や「献灯使」を読んだ際、山田詠美さんが言っていた結晶化というのは、こういう小説のことだったのではないかと感じました。

 

 

<詩、漫画>

和合亮一「詩の礫」など

→1968年福島市生まれ、在住。被災後、ツイッターで詩をつぶやく。「静かな夜です」「明けない夜はない」など短いツイートだからこそ、胸に迫ります。分かりやすい言葉、分かりやすすぎる言葉で書いたことで、詩業界からは批判もあるようです。私は震災当時、仕事で東京に住んでいましたが、震災のあまりの死者の多さに圧倒されましたし、スーパーから食べ物が無くなったり、原発の水素爆発の様子、制御しきれない様子をテレビのライブで見たり、不安な日々でした。当時、北海道の友人たちと話したりもしましたが、東京のほうが福島から近く、さらに「こと」が起こったらアウトだという感覚があり、その切迫感は強かったように思います。

そうした中で、ツイッターでぽつりぽつりとつぶやかれる詩に、圧倒的な引き返せない現実に対して泣く時間、不安を受け止める時間をもらうように感じました。和合さんがツイッターで書いた詩をまとめた作品も出ています。

 

竜田一人「いちえふ」 

→福島原発で作業したルポ漫画です。作業と日常。勝手な妄想をしがちな現場ですが、緊迫感のある作業とその中での日常が具体的に描かれ、面白く考えさせられます。笑ってしまう場面も多々あります。

こうの史代「日の鳥」

→1968年広島生まれ。原爆をテーマにして漫画「夕凪の街 桜の国」でブレークした作家。重めのテーマでも自分の丈に合わせて受け止めて表現しているからかと思うのですが、「夕凪の街」では、自分の地続きに原爆もあったのだということを実感します。他の作品も人生の悲哀をユーモアを交えつつ描き、面白いです。

「日の鳥」は5カ月後から2年半後の東北。その各地を鶏が妻を探して旅するという話です。上に絵があり、下に短い文章がある絵日記のような構成です。震災について声高には語りませんし、のんびりした雰囲気なのですが、何があったのか今どうなっているかを、断片的に鋭く描きます。

 

<写真集>

篠山紀信「ATOKATA」

荒木経惟「往生写集」「死小説」

小林紀晴「メモワール」

『ATOKATA』は震災後の東北を活写。アラーキーの「往生写集」「死小説」は直接東北を撮影したものではありませんが、震災後に出されています。

『メモワール』の著者、小林紀晴さんは、アジアを放浪する若者を描いた「アジアン・ジャパニーズ」などで知られる写真家です。「メモワール」は、オーストリア在住の写真家古屋誠一さんを追いかけたルポルタージュです。古屋誠一さんというのは、オーストリア生まれの妻と結婚し、彼女は自殺で亡くなってしまうのですが、彼女の生前、そして亡くなった時に撮った写真を発表し続けてきた人です。写真には二人の関係性や謎のようなものが深く刻み込まれているような気がします。この本は古屋さんがなぜ撮影したのか、なぜ発表し続けてきたのかに迫った本です。「見る」「撮る」ことについて深く考えさせられる本なのですが、直接震災を取り扱っているわけではありません。ただ、あとがきに、東日本大震災を撮るか撮らないかを巡る考察が出てきます。

アラーキーは、被災地には行っていません。プライベートでは分かりませんが(おそらく行っていないと思いますが)、少なくとも撮影のためには行っていません。健康上の問題もあるのですが、震災の場に行くと、自身の中にある「自分の表現にしようとしてしまう」カメラマン魂、カメラマン根性が触発されてしまうのではないかと考え、自制しているようです。「行ったらねえ、まずい、ガンガンはいっちゃうね」「だから、しばらくアーティストは沈黙していなくてはいけない」と話している言葉が紹介されます。

篠山紀信さんは「写真家は時代の映し鏡で、突出した出来事や人を撮らなきゃいけない」という信念をこれまで説いてきて「見なかったことにはできない」という思いと、「撮ろうと思いながら何もできずにうろうろしてました」というためらいとの両方について告白し、連載をしている専門誌から「背中を押されるかたち」で被災地に向かったそうです。同じく著名な写真家である森山大道さんは、「自分の生活の範囲であれば、東京で震災があれば撮るが、わざわざ行っては撮らない」という趣旨のことを語っていることが紹介されます。著者であり、写真家である小林さんの迷いも逸直に吐露されており、読み応えがあります。

自分たちが震災とどう向き合うか、俳句で何を見つめるのか、何を表現するのかしないのかを考える場合にも、示唆に富んだ言葉がちりばめられています。

 

 

④まとめ

今回の講演でいろいろな作品を読み返してみて、人の数、表現の数だけ震災があるのだと思いました。震災を他人とまったく同じように感じるのは難しい。人によっても、震災の感じ方が違うとあらためて気付かされました。だからこそ、想像力を養う必要性があり、(震災を)忘れないということを意識的に行う大切さも感じました。

俳句の利点は「沈黙」にあります。感情を直接詠み込まないことで、より深く届けることができます。虚子は「俳句は黙する叙情詩」と言っています。すでに虚子に言われていたことなのですが、自分にとっては、今回勉強することで、その言葉をより深く納得することができたように思います。ただ、時事詠に批判的で、「自然を見る」という虚子ですが、地震も自然の一部なのではないかという疑問も感じました。

(短歌や小説など)他の表現も調べてみて、俳句と一番似ているのは、写真なのではないかと思いました。どこから見るのか、何を見るのか、どこをクローズアップするのか、一瞬のありかたに作者の人間観、死生観が表れます。

また、報道も似たところがあります。客観報道とは言いますが、何をどこから取材・紹介するのかなど、どうしても主観が入ります。そこが(俳句と報道も)似ていると思いました。ただ、言葉の在り方として、新聞の言葉は、行間を読者の想像力で読み取らせるような言葉ではありません。やはり俳句などの詩歌の言葉とは違います。言葉の豊穣感が違います。

だじゃれではないのですが、「詩は死である」とも思いました。優れた表現とは、死を孕んだものなのかもしれません。死ぬからこそ、生のきらめきがある。死がオーバーラップするからこそ、心に迫る表現があると感じました。死に人間の本質があるのではないでしょうか。

虚子に「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」という句があります。これを虚子は「私の信仰である」と答えています。俳句は生きるよすがになる文学だと思います。自分が生きていく上での杖となる文学ではないかと思いました。



※イタック当日の数日前に入手し、今回内容を盛り込むことはかなわなかったのですが、俳人協会や現代俳句協会など俳句四協会編の「東日本大震災を詠む」(朝日新聞出版)という本も出ました。巻末には、震災を扱った主な句集、雑誌、結社誌の一覧も付いています。 
 
 
☆抄録 久才秀樹(きゅうさい・ひでき 俳句集団【itak】幹事・北舟句会)


 

2015年4月20日月曜日

俳句集団【itak】第18回イベント抄録【㊤】


俳句集団【itak】第18回イベント

『 震災と俳句 』


講演 栗山麻衣

俳人 銀化同人・群青同人  北海道新聞記者
 
2015年3月14日 札幌・道立文学館


俳句集団【itak】は3月14日、第18回目のイベントを札幌市中央区の道立文学館(中島公園)で開きました。東日本大震災の発生(2011年3月)から丸4年。未曽有の災害に俳句という文芸は、どのように向き合ってきたのか―今回のイベントでは、新聞記者で俳人(銀化同人)の栗山麻衣さん(札幌在住)が「震災と俳句」と題した講演を行いました。



講演で栗山さんは、震災をテーマにした俳句の数々を紹介。東日本大震災のほか関東大震災、阪神大震災といった震災詠を調べたほか、短歌や小説、写真、漫画といった俳句以外の表現が災害をどう捉えてきたかを解説しました。


俳句に限らず、震災を扱った作品、表現が数多くあることを紹介した栗山さんは「多くの作品を読み返してみて、人の数だけ震災の数があると気付いた。だからこそ、想像力を養う必要があり、(震災を)忘れないということを意識的に行うことが大切だと思う」と話した。その上で「俳句は、生きるよすがになる文学。生きていく上での『杖』となるのではないか」と締めくくりました。




栗山さんの講演を2回(上、下)に分けて詳報します。

*栗山注:先日は講演をさせていただき、どうもありがとうございました。お話させていただくことで、自分自身もとても勉強になりました。恐縮なのですが、その際のスクリーンに映させていただいた資料の引用句など、旧かなのところを新かなで表記していたり、漢字の変換間違いをしていたり、すっかり打ち間違いをしていたりした部分がありました。聞いていただいたみなさま、ご紹介させていただいた方々、申し訳ありません。今回の詳報で、正しい表記に直させていただいています。当日は駆け足になってしまった部分の説明も少し足させていただいています。何卒よろしくお願いいたします。
 
【㊤】
日本大震災の俳句(句集や雑誌、アンソロジーなど)
【㊦】
②これまでの震災詠(関東大震災、阪神大震災)
③東日本大震災で俳句以外の表現(短歌、小説など)
④まとめ 
「震災と俳句」㊤
①東日本大震災の俳句
今回の大震災について、私自身、俳句や小説を読んで衝撃を受けた部分があります。また、4年しか経っていないのに忘れられてきているのではないかと、不安も感じています。きょうは、自分がこれまで考えてきたことを伝えたいと思います。みなさんもあらためて(震災を)見直すきっかけになるとうれしいです。今回の大震災、3・11後の震災詠・俳句作品について話した後に、(関東大震災、阪神大震災など)過去の震災詠、さらに俳句以外の表現、小説や短歌なども、自分が分かる範囲で紹介したいと思います。
 
★震災句集を語るには外せないクイーン
照井翠「龍宮」
照井翠 1962年岩手県花巻市生まれ。「寒雷」「草笛」同人。高校教諭。釜石市で被災。避難所で高校生と1カ月過ごす。実感のある景。凄みと絞り出すような言葉。無季も。今句集で現代俳句協会賞特別賞、俳句四季大賞。
 
『龍宮』は読んだ方も多いと思いますが、私なりの分類としては照井さんを「震災句集を語るには外せないクイーン」としました。照井さんは、岩手県花巻市出身で、釜石市で高校の先生をしています。被災した高校生と1カ月くらい、避難所で過ごしました。始めは俳句どころではなかったようですが、食事係として「おにぎり何個」などメモの片隅に言葉を書いているうちに、俳句を作ってきたと言っています。「龍宮」の中からいくつかの作品を紹介します。
 
「双子なら同じ死顔桃の花」
「春昼の冷蔵庫より黒き汁」
「春の虹半分負つてくれますか」
「生きてをり青葉の雫頬に享け」
「天の川ぐにやりと曲り起つ鉄路」
 
 現代俳句協会など各種の賞を受賞していますが、実感のある景を絞り出すように書かれた句集だと思います。本人はインタビューで「俳句の『虚』のおかげで救われた」「辛うじて正気を保てたのは俳句の『虚』のおかげ」と話しています。圧倒的な悲惨な現実を前にしたときに、俳句を詠むことで、過酷な現実を自分の物語と捉え直しているようにも読めます。
この作品について、櫂未知子さんは「悲しみの中に長く身を置くことによってのみ得られる作品の力があるのだと、『龍宮』を夢中になって読んでみて知った」(角川俳句13年2月号)。岸本尚毅さんは「(小川軽舟の作品評も)照井には季題の入り込む余地のない句もあるが、<桃の花>という季題を通じて己自身の沈潜を求める息遣いが感じられる」(毎日新聞2013年回顧)。片山由美子さんも同じように「(高野ムツオの句と共に)季語と共に一句を記憶。(中略)季語の力を再認識した」(角川俳句13年3月号)と話しています。
 龍宮の中では無季の句も多いのですが、照井さんご自身も、震災詠について読売新聞のコラムで「季語の力に助けられた」と言っています。
 
★震災句集を語るのに外せないキング
高野ムツオ「萬の翅」
高野ムツオ 1947年、宮城県生まれ。多賀城市在住。小熊座主宰。発生時は仙台駅ビルにおり、13キロ、5時間歩いて多賀城の自宅まで帰った。今句集で蛇笏賞、読売文学賞、小野市詩歌文学賞受賞。
 
 震災と俳句というテーマでは、必ず出てくる人です。本当に「キング」という感じです。今回、「萬の翅」で蛇笏賞、読売文学賞、小野市詩歌文学賞の3賞を取るなど評価されています。(句集の中の)震災詠は3割ほどで、そのほかの作品も結構、入っています。宮城県の多賀城市在住ですが、震災時には、仙台の駅ビルにいて、当日はそこから歩いて自宅に帰ったそうです。途中まではそんなにすごいとは思わなかったけど、帰る道で車がみんな右に曲がるので「変だな」と思ったら、津波で水浸しになっていたと語っています。
 
「夏草の声にみちのく始まれり」(震災前の句)
「天地は一つたらんと大地震」
「車にも仰臥という死春の月」
「陽炎より手が出て握り飯摑む」
「初蝶やこの世は常に生まれたて」(震災翌年の句)
 
 実際に多くの人が言っていますが、技術があるからこそ、今回のような評価となった句集だと感じました。自身はブログの講演録で「俳句で励ますことはできない。問題は自分にとって、その震災とは何か、人の死とは、いのちとは何かを自分自身の思いとして提唱することにある。そのことが、ひいては人の心を打つ。そういうことだと思う」と話しています。
『俳句あるふぁ』の長谷川櫂さんと歌人の三枝昻之さんとの鼎談で、ご本人は「震災を詠むんじゃないんです。震災のなかで詠むんです」と話しています。読売文学賞の贈賞式では、選考委員の詩人高橋睦郎さんが「(3・11という)深刻な事態に対して、散文はもとより、詩も、短歌も、しゃべりすぎ。日本語芸術の歴史の窮極最短の詩型である俳句のみがその詩型の宿命上含み込まざるをえなかった沈黙の量によって、かろうじて事態に対応しえている」と言っています。この「沈黙」という言葉も、俳句を考える上でのキーワードかなと思います。小川軽舟さんは「見い出したのは『腹の据わったユーモア』。根底で人間愛につながっている」(角川俳句14年3月号)と書かれています。岸本尚毅さんは「俳句のユーモアは軽妙なジョークのような次元にとどまらない。むしろ生の過酷さと向き合ったときこそ意味を持つ」と新聞の時評で書かれていました。
 
★震災句集を語るのに外せない大ベテラン
小原琢葉「黒い浪」
小原琢葉 1921年岩手県生まれで、今年94歳。盛岡市在住。「樹氷」名誉主宰。
 
「震災句集を語るのに外せない大ベテラン」と名付けさせてもらいました。「海鼠切りもとの形に寄せてある」などの句が歳時記に入っています。私の大好きな句で、グロテスクでもあり、人間の残酷な側面、可笑しみも表現されていると感じます。震災を詠んだ句集「黒い浪」にも、こうした視点、自身のこれまでの経験がにじみ出ていると思います。
 
「十二月八日世のある限り来る」(震災の前年の句)
「地鳴り海鳴り春の黒浪猛り来る」
「春泥のわらべのかたち搔き抱く」
「亀鳴くや想定の語はたわいなし」
「蟇穴を出て風評の村なりき」
「日焼けして下請作業逃げられず」
 
原発事故に対する言及が多いのかなとも感じました。人間に対する興味が多い方なのではないでしょうか。ご本人は、あとがきで「災害の俳句はもとより難しい。言葉の力にも限りがある。しかし、あの恐怖、あの惨状を少しでも伝えておくため、あえて一書をまとめることとした」と書いています。文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんは「徹底した写生で自然をとらえる『風土俳句』の名手。高野や照井と表現方法は少し違い、季語と定型を遵守する伝統的手法で、『第二の敗戦』といわれる現実に真向かった。むしろ乾いた即物具象の徹底と、長年の人生体験が句に迫力を与えている」(毎日新聞俳壇)と評しています。
 
★震災句集を語るのに外せない新鋭
永瀬十悟「橋朧―ふくしま記」
永瀬十悟 1953年福島県須賀川市生まれ、在住。あふれる郷土愛。生々しさより祈りが強い印象。
 
角川賞を受賞した50句と、その前後の句をまとめたもので構成されています。62歳のベテランに新鋭と言うのは失礼なのですが、ここ最近脚光を浴びていることで、分かりやすく「新鋭」とさせていただきました。
 
「鳥雲にフクシマテマタアヒマセウ」
「滝桜千年ここを動かざる」
「ふくしまに生まれて育ち鳥の恋」(ここまで角川賞)
「寄り添うてねむれねむれと冬の雨」
「原発停止根の国よりの泉湧く」
 
私の感想は、生々しさというよりも、郷土に対する愛情の深さがあるというものです。コールサック社という出版社から出ていますが、同社創業者の鈴木比佐雄さんが句集の解説しており、「もう一度、故郷の自然や事物と関係を再構築しているのだと思う」と書いています。
角川賞選定の際に議論がありました。(被災の)当事者かどうか、俳句についてどう考えるのかについて、選考委員の正木ゆう子さん、長谷川櫂さん、池田澄子さん、小澤實さんで激論となっています。
角川賞の締め切りは5月末なので、2カ月の間にまとめられたわけですが、正木さんは「詩として昇華されている。すごい力量のある人。この年にはこの人にあげたい」、長谷川さんは「よくまとめた」「単なるルポではなく俳句として成り立っている」と評価しています。これに対し、池田さんは「あまり×は無いが、切羽詰まったものが押し寄せてこない。俳句形式と折り合いが付いている確かさと弱さがある」。小澤さんは「敬意を表するが、既視感がある」と指摘しています。
もう一つ話題になったのは、この作者が福島の人なのかどうかということです。実際に永瀬さんは福島の方でしたが、議論の段階で作者は伏せられているわけです。正木さんは「俳句を読むときは、信じて読む。きっと福島の人であると。そうでなければとても問題だけど、しょうがない」。長谷川さんは「福島の人じゃなかったら問題ではないか」、正木さんは「東京なら東京、埼玉なら埼玉から震災を詠めばいいのではないか」とも話しています。池田さんは「東京の人が福島のことを思って作っても、作品に力があればいいのではないか(力があるのが前提)」という趣旨の話をしています。
 
★震災句集を語るのに外せない強面
角川春樹「白い戦場」
角川春樹 1942年富山生まれ。おそらく東京在住。
 
角川さんは、角川さんの句会ルポの本の帯にもなっているのですが、小説家の北方謙三さんに対して「北方!おまえは黙ってろ!」などと句会で一喝したりしている方。本を読ませていただく分には勉強になるのですが、そのマッチョっぷりにはびっくり。敬意を表すると共に、角川さんの句会はなかなか怖そうと思ったところで、思い切って「強面」とさせてもらいました。『白い戦場』は、やはり震災の句集です。
 
「地震狂ふ荒地に詩歌立ち上がる」
「亀鳴くや狂気の沙汰の被曝国」
「逃げ水や掬ひきれざるものの数」
「今日生きて今日の花見るいのちかな」
「ヒロシマの一樹余さず蝉時雨」
 
現在73歳。言葉のきらめき、切迫感、刹那感がある句が多いように思います。あとがきでは、「詩歌は『人の心を撃つ』言葉から発展するもの。今は半径50センチの『盆栽俳句』『盆栽短歌』しかない。『何を、どう詠むべきか』あらためて問われている」と指摘しています。ただ、詩歌が立ち上がるとはなかなか言えないのではないかという批判的な見方もあるようです。
 
★震災俳句を語るのに外せない「長谷川様」
長谷川櫂「震災句集」
長谷川櫂 1954年熊本県生まれ。読売新聞記者を経て、古志主宰、現副主宰。
 
この句集はみなさんもご存じかと思いますが、評判は悪かったです。長谷川さんは、まず「震災歌集」を出版されてから、1年くらいして句集を出しました。批判が多かった点として、俳人なのにまず歌集を出したことがあるのかもしれません。また、切迫感の無い、神様的目線の作品が多いとの批判もあります。私も先にそんな批判を聞いてから読んだので、失礼な話ですが、どんなにひどいかと思って読んだのですが、思ったより良い句もありました。地震は抜きにして、普遍的に「なるほど」と思う作品もありました。これから時間がたつことで、評価が変わっていく部分もあるのかもしれません。
 
「幾万の雛わだつみを漂へる」
「水漬く屍草生す屍春山河」
「マスクして原発の塵花の塵」
「桜貝残されしもの未来のみ」
「原発の煙たなびく五月来る」
「原発の蓋あきしまま去年今年」
 
 長谷川さんご本人は、「俳句は極端に短いために言葉で十分に描写したり感情を表現したりすることができない」「そこで言葉の代わりに『間』に語らせようとする。『間』とは無言のことであり沈黙のことだが、それはときとして言葉以上に雄弁である」「季語は宇宙のめぐりの中に俳句を位置づける働き」と言っています。ここでも「沈黙」という言葉が出てきます。
長谷川さんは「俳句のこうした特性のために、俳句で大震災をよむということは大震災を悠然たる時間の流れのなかで眺めることにほかならない」とも書いています。先ほども紹介した鼎談では、こうした考えを持つ長谷川さんに対して、高野ムツオさんは、震災句集の意義を認めながらも、現地にいるかのように詠むのは違うのではないかという疑問を呈しています。
 若手の外山一機さんは、ネット時評で「長谷川は俳句形式で震災を詠むという前提を疑うことなく震災を俳句形式へと落とし込んでいる。だから、長谷川の震災詠において俳句形式は、確固とした姿で立っている。そこでは表現内容や表現行為が表現形式と衝突することはありえない。有季定型の優位は初めから決まっているのである。長谷川は震災詠が『ときに非情なものとなる』と述べているが、それは俳句形式ではなく長谷川の志向ゆえの非情であろう」と指摘しています。櫂未知子さんも「どこまでも古典に立脚した、そしてどこかしら空疎に見える立派な句であり、人の心を打たなかった」(角川俳句13年3月号)とばっさり書かれています。
 
★震災句集を語るのに外せない異端児
御中虫「関揺れる」
御中虫(おなかむし) 1979年、大阪生まれ。2010年、芝不器男俳句新人賞。
 
長谷川櫂さんの「震災句集」に対して、気持ち悪いと言っているだけではダメではないかと考えたのは、御中虫さんです。長谷川櫂さんの句集について、ウエブでちら見しただけで「ゲロでそう」だけど、俳人ならば自分がどうするかを考えなければいけないと考えたそうです。彼女は自分にとっての震災を考えた時、知り合いの関悦史さん(茨城在住)という俳人が、ツイッターで「揺れ、でかい」「揺れた」とつぶやいていることだと感じたそうです。そこで、「関揺れる」という言葉を季語として使い、俳句を作りました。
 
「関さんも揺れたんですか?」「まあ、わりと」
「はやくも関の揺れに鈍感な国になつてしまつた」
「関の揺れ共有できず春の月」
「暖房を消して関氏の揺れ思ふ」
「本日はお日柄もよく関揺れる」
 
 私は、「関の揺れ共有できず春の月」などの句が好きです。言葉で格闘しようとする姿勢はすごいと思います。尊敬しています。いわゆる俳句として、万人受けする作品ばかりではないかもしれませんが、面白い作品集です。
 
★揺れた関
関悦史「六十億本の回転する曲がつた棒」 
関悦史 1969年茨城生まれ。茨木在住。2006年から11年までの作品。
 
実際に揺れた関さんです。おばあさまの介護についての句もあり、切実さや事実をつきつめた上での幻想などが作品に昇華されていて面白い句集だと思いました。
 
「春の土にドガガガガガと云はれけり」
「激震中ラジオが『あすは暖か』と」
「天使像瓦礫となりぬ卒業す」
「亡き祖母とよく会ふ地震の後の春」
「残像のわれが飯買ふ西日かな」
 
★独断で選んだ震災の句
そのほか網羅しきれないですが、私の独断で、目に着いた句を選んでみました。
 
「絶滅のこと伝はらず人類忌」(正木ゆう子「角川俳句」1310月号)
「セシウムのきらめく水を汲みたると」(正木「角川俳句」15年2月号)
「春帽子買いにふらりと往ったきり」(金原まさ子「カルナヴァル」13年)
→金原さんは今年、104歳になります。震災を詠んだものではないかもしれませんが、震災としても詠めるのではないか。身につまるものがあるなと思って選びました。
「命あるものは沈みて冬の水」(片山由美子「香雨」12年)
→片山さんらしい句だと思います。
「翁に問ふプルトニウムは花なるやと」(小澤實「俳句界」11年5月号)
→震災の年の5月号、震災特集の中で書かれている句です。松尾芭蕉が『笈の小文』で、俳諧について「見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし」と言っていることに対して、小澤さんは「翁に問ふプルトニウムは花なるやと」と問いたい気持ちだということです。
「春の地震などと気取るな原発忌」(山﨑十生、同上)
「震度3などは揺り籠春眠す」(白濱一羊、同上。岩手「樹氷」)
→小原さんの「樹氷」を引き継ぎ、現在、主宰です。
「繋がらぬ電話投げ出す受難節」(松倉ゆずる、同上)
→北海道の俳人。被災地から離れた場所から詠んだ句として、なるほどと勉強になりました。
「松過ぎの子らに普通の空気あれ」(池田澄子「角川俳句」15年3月号)
→池田澄子さんは「前へ進メ前へススミテ還ラザル」という作品などを作っており、やわらかな言葉で反戦的なことを書かれたりもしています。8月になるたびに戦争で亡くなった人の事を思うということを書かれていた記憶があります。戦争などで死ぬのではなく、病気で死にたいと感じるそうです。この句にも、これまで生きてきた重みが感じられると思います。
「夕焼けの原発すでにして遺跡」(仲寒蝉「巨石文明」)
「夏萩やそこから先は潮浸し」(友岡子郷「黙礼」)
「野蒜に花喪服のひとり佇ちつくす」(同上)
→友岡さんは阪神大震災で被災し、ご友人が亡くなっています。
「津波のあとに老女生きてあり死なぬ」(金子兜太、角川俳句11年5月号特集)
→兜太さんならではの世界観です。
「ひとつぶの種播く地平あるかぎり」(行方克巳)
「言の葉の非力なれども花便り」(西村和子)
「流れ着く疊に唉かうとする菫」(中原道夫)
→私の所属する「銀化」の先生です。相変わらず、難しい字を使うなあと思っておりますが、俳句自体は優しさにあふれています。
「雑木冷えて高うなりたる桜かな」(依光陽子)
「暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト」(神野紗希)
→「黒板にDo your bestぼたん雪」という句を読んだ時に「Do your best」も句になるんだなと新鮮な驚きがあったのですが、この句では、神野さん自身にとって実感がある「マイクロシーベルト」という言葉を入れたのだと思います。一見、奇をてらっているように見えますが、よく考えて作られていると思います。
 
筑紫磐井「しのび」(「ガニメデ」13年8月号)
→実験的な試みです。表現雑誌「ガニメデ」の「しのび――俳句を自由に」という作品です。津波の衝撃から「二度と繰り返させない唯一の形式とは何であるかを問うべきである」という<動機>から、「(俳句は)1行があまりにも長い」「一行ですべてを述べ、全体の構想を断ち切ろう」などという<設計>方針のもと、3、4文字で構成された51句が並んでいます。定型詩の形式そのものを考えようという、その真摯さに頭が下がるのですが、行間を読み手だけで埋める難しさもあり、考えさせられました。
 
「Fukushimaの火は牙をむき水は泣く」(夏石番矢「ブラックカード」)
「雪降るや神々死者の数知らず」(同)
 
「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」(福田若之「俳コレ」)
→俳句甲子園出身者。若手のきらきらした感じの存在で、いいなと思って読みました。
 
★アンソロジーから
プロの俳人ではなく、いろいろな人が現地で詠んでいる中から取りました。
<女川一中生の句 あの日から> 小野智美編
「雀の子 とべよとべよと せかす母」
「聞いちゃった 育った家を こわす日を」
「ただいまと聞きたい声が聞こえない」
→朝日新聞宮城版の記事が元になったものです。中学生が国語の授業の中で、俳句を詠むことで震災と向き合っている様子を、生徒たちの近況を交えながら書いている本です。生徒20人あまりが紹介されています。家族を亡くした子もいます。過酷すぎる体験と向き合う姿が浮かび、現実と向き合うために俳句が力を貸していることがよく分かります。形あるということで、心に一番気にかかっていることが表現できる、それが生きていく助けになる。たとえプロでなくても、言葉に助けられて生きていけると感じました。
 
<高校生文芸コンクール>
「淡雪や被災者という同い年」(宮城・高2)
「割れぬよう震災の日のしゃぼん玉」(福岡・高3)
 →琴似工業高文芸部の佐藤先生から、お借りした資料から引きました。2句目は福岡の生徒の句ですが、違う場所にいても自分なりの詠み方ができる。言葉を杖のように使えるのだなと思いました。
 
<まんかいのさくらがみれてうれしいな> 黛まどか編
黛まどかさんがメルマガ「俳句でエール!~東日本大震災に寄せて~」で寄稿された作品や結社誌に発表された被災地の作品をまとめて一冊にしたものです。近況などが記されている。過酷な現実が伝わってくる。8歳から80代の人もいます。岩手、宮城、福島、栃木の80人あまりの130句ほどが掲載されています。
「瓦礫のみ残るふるさと山笑ふ」(宮城・77
歳)
「身の内に余震棲みつき春深し」(仙台・82歳)
「身一つとなりて薫風ありしかな」(岩手・69歳)
「年賀には『こんどあったらあそぼうね』」(石巻・8歳)
「福島はもう人住めず草茂る」(南相馬・7歳)
「避難してがらんどうなる夏座敷」(飯館村・81歳)
 
8歳の子の句は切ないです。福島については今回、津波だけではなく、原発被害が強く、人災でもあり、自然災害だけではない、違った被害がもたらされてしまったと深く感じさせられます。
巻末に作家の森村誠一さんと黛さんの対談が掲載されています。黛さんは「まだ作句の上で自分の立ち位置が分からない」と率直に話しています。森村さんは「負の文化遺産として詩を遺すことの大事さ」を訴えています。森村さんは「蕎麦は救荒食、俳句は救荒文芸」とも言っています。 

(【㊦】につづく)
 
栗山 麻衣(くりやま・まい)

銀化同人、北海道新聞記者、俳句集団【itak】幹事
1973年、横浜市生まれ
1997年、北海道新聞社入社。
2009年、俳句愛好会「舟・天空句会」に参加。
2010年、銀化入会
2012年、銀化新人賞、同人
2013年、第4回北斗賞次点、群青参加