2016年1月26日火曜日

俳句集団【itak】第23回句会評⑤ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第23回句会評⑤

  2016年1月9日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 毛糸編む指なめらかに生きてゐる   高橋なつみ

句会でたしか榮一さんだと思うが、この句に「指」がなかったら採らなかったと言ったが、私もそう思う。「毛糸編む」の主体がなめらかに生きてゐるのでは面白くない。「指がなめらか」であり、「生きてゐる」のである。あたかも指が人間本体と別の生物であるかのように。その感覚を明確に打ち出すために一案だが「生きてゐる指なめらかに毛糸編む」ではどうだろうか。


 初湯出て尻の笑窪の天使めく     増田 植歌

句会のとき「尻の植歌」というあだ名がついたが、俳人としてあだ名がつくことは誉である。「天使めく」の座五の措辞で、この尻の持ち主が老婆やなまめかしい女性ではなく、乳幼児だとわかる作りになっている。それによって「尻」が品格よく座っている。とにかくわかりやすいのが作者の長所である。


 猪が蜜柑の汁をすすつてる      木内 望月

投げ出すような言葉。内容。猪が蜜柑の汁をすすっている という事実だけを提示しているが、山頭火のようなインパクトがある。猪も蜜柑もほかのなにものにも交換できないようなリアルさがあるのである。わざとやっているのか、意識しないでビギナーズラックなのか、恐ろしい句である。


 冬の雷文庫の世界閉じて聴く     長谷川忠臣

「文庫の世界」という措辞が利いている。問題は「冬の雷」「聴く」の予定調和的な繋がりである。一案だが  「冬の雷文庫の世界閉じてより」など 動詞は減らすべきであろう。冬の雷を聴きながら作者はどんな文庫の世界に身を置いているのであろうか。


(つづく)

 

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