2016年2月12日金曜日

『りっきーが読む』~第23回の句会から~ (その2)


『 りっきーが読む 』 (その2)
 
~第23回の句会から~

三 品 吏 紀


 実家てふフォアグラ工場去年今年   青山 酔鳴
 
なんとも自虐的、そして耳の痛い句だ(笑)
年末年始はほぼ喰っちゃ寝することが、日本の正しい正月の過ごし方だと思っている。それが実家ならなおさらだ。
フォアグラのごとくぶくぶくと自動的に肥えていく自分。でも正月だからいいじゃないかと言い訳する自分。そして鏡開きの頃には激しく後悔して必死にダイエットに励む自分。
それはきっと来年も再来年も懲りずに繰り返すのだろう。
やれやれ。 
 
 
  トレニアの狂い咲きたる強さかな    銀の小望月

四季のサイクルに沿って植物はそれぞれの時期に合わせて花を開く。
が、稀にそのサイクルから外れてまるではぐれ物の様に時期を外して花を開くものがある。
「狂い咲きたる強さかな」。周りに迎合せず自分の意のままに真っ直ぐに生きる。そこに強さを見たのだろうか。どうしても個というものが埋もれやすい昨今。周囲に流されず常に「己」というものを強く持ち続けて生きていきたいものだ。 
 
 
  引き算の果ての望郷初御空       五十嵐秀彦
 
自分の元からありとあらゆるものが失せ、消えてしまった。
残るのは残るのは胸の内にある望郷の念だけ。しかし再び歩み出すにはむしろ清々しいのではないだろうか。
何もない真青な故郷の空の元からこそ、スタートを切るにはふさわしい。
 
 
  愛咬のごときが昨夜の餅にあり     橋本 喜夫
 
愛咬という言葉はやはり男女の営みを連想させる。そして咬むという行為は「貴方は私のものです。その証を貴方に刻みましょう」というちょっとした独占欲の表れだと思う。
そういう論理でいくとこの句は「この咬み跡の付いた餅はオレのもんだ。誰も手をつけるんじゃねーぞっ」というイメージになるのか。うわぁ、なんてロマンティックじゃないんだろう(笑)
……いや、全く別の読み方をすると、下五の餅というのは、餅であって餅ではない。
つまり「餅の様に白い柔肌」ではないか。そうなるとこの愛咬という言葉のイメージがすんなり句に馴染み、なんとも艶めかしい句にも思える。
そういう意味でこの句は読み手にグッと妄想力を駆り立たせるのではないだろうか。
 
 (その3につづく)


 

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