2016年2月22日月曜日

~まる裏俳句甲子園に初挑戦~ 北海道チームの松山奮闘記③


~まる裏俳句甲子園に初挑戦~
 
北海道チームの松山奮闘記③

久才 秀樹
 
松山には至る所に句碑がある。句碑などをめぐった一行
 大会翌日の11日は、地元「いつき組」の方々が松山散策を計画してくれました。観光ボランティアガイドの経験があるという宇和島の「しんじゅさん」の説明を受けながら、俳都松山の名所を巡りました。
 
◆至る所にある句碑
 
急な石段を登らなくてはならない
伊佐爾波神社
 集合場所は、路面電車の道後温泉駅を降りてすぐの「からくり時計」前の広場。まる裏会場の松山市子規記念博物館も近く、足湯もあり、観光客でにぎわっている場所です。広場には、野球のバットを持ち、ユニフォーム姿の正岡子規の銅像が。松山は、とにかく至る所に句碑があり、集合場所の広場にも「まり投げてみたき広場や春の草」「生垣の外は枯野や球遊び」(子規)「春風やふね伊豫に寄りて道後の湯」(柳原極堂)などの句が見られ、散策前から俳句ムード満開といった感じでした。
 まず向かったのは、伊佐爾波(いさにわ)神社。神社は、135段もある急な階段の上にありますが、ここは、【itak】にも参加してくれたことのある堀下翔君(筑波大)らが、学生俳句チャンピオン大会(NHKでも放送されました)の俳句バトルで上り下りしていた階段です。息を切らせながら階段を登り、ようやく社殿に到着。おみくじを引いたり、名物の鳩笛を買ったり、少し遅めの初詣となりました。

宝厳寺にある
黒田杏子さんの句碑
 神社の裏から坂を下りると、一遍上人の誕生地といわれる宝厳寺(ほうごんじ)に着きました。2013年8月に火災があり、残念ながら、国の重要文化財だった木造一遍上人立像も焼失してしまったそうです。本堂などは再建工事中でしたが、ここにも句碑がありました。「色里や十歩はなれて秋の風」(子規)、「稲光一遍上人徒跣(いなびかりいっぺんしょうにんかちはだし)」(黒田杏子)。
 
中村草田男のお墓
 子規も詠んだ色町のあった坂を下り、「湯の大地蔵」と呼ばれるお地蔵のある圓満寺を訪問。火除け、延命長寿、恋愛成就、夫婦円満と御利益の多い大きなお地蔵さまが鎮座していました。境内に俳句仕様になっている絵馬が並んでいました。「これからも〇〇〇と一緒紅椿」「椿山〇〇〇家ずっと幸せに」。〇〇〇の中に名前を書き入れて、奉納されていました。名前を埋め込む絵馬は、俳人の神野紗希さんが考案したものだそうです。

 その後、道後温泉本館、湯神社に続き、市営墓地の道後鷺谷(さきだに)墓地を案内されました。なぜ墓地に? この墓地には、『坂の上の雲』の主人公のひとり、秋山好古のほか、俳人中村草田男も分骨され、墓地があるとのこと。観光ブックには載っていない俳人穴場のスポットでした。
 
 道後温泉のホテルのレストランで昼食を取り、午後からは松山城を観光。城内では梅の花が数輪、咲き始めており、山茶花や椿も咲きているなど、早くも春の季語があふれていました。松山城で散策は終了。しんじゅさんを始め、散策を企画していただいた「いつき組」のみなさんには本当に感謝感激です。
 
 
◆「ヘタ俳人の聖地」へ
 
 同日の夕食は、メール句会でお世話になっている更紗さんらとともに、愛媛の郷土料理のお店へ。じゃこ天や鯛のお刺身、宇和島の郷土料理「ふくめん」(千切りのこんにゃくの上に、白身魚のそぼろやミカン、葱などが盛りつけられたもの)を堪能。お腹も一段落ついたところで、袋回しの句会も楽しみました。お酒の入っていない人もいたせいか、かなり真面目な?句が多かった気がします。われわれが普段、泥酔状態で行っている「袋回し」も一度、見せたいなと思いました。

 二次会は、市街地から車で15分ほどの「まるやす食堂」へ。店主のママは俳号「のり茶漬け」さんという俳人。店も「ヘタ俳人の聖地」と看板を掲げているように、夜な夜な俳句仲間が集まるそうです。この日もすでに2人の俳人のご婦人がおり、さらにもう1人、いつき組の方が顔を出していました。札幌にもこんな店があればいいのになあと思いながら、締めのウドンを美味しくいただきました。
 
 松山の旅・最終日の12日は、夕方の飛行機に乗る前に最後の松山観光。まずは、松山市駅から歩いて5分ほどにある子規堂へ向かいました。正岡家の菩提寺である正宗寺境内にあり、子規が暮らしていた家を復元した建物がありました。子規直筆の原稿や勉強部屋、愛用の机などが展示され、小さいながら見応えのある史料が並んでいました。
 子規堂の外には、たくさんの花をつけた椿の木があり、「寒椿」との名札もぶら下がっていました。さらに境内の正面には大きな石碑があり、よく見ると、子規が大相撲の秋場所を詠んだ句「秋晴れて両国橋の高さかな」とともに大きな「道」という一文字。北海道が生んだ元横綱千代の富士(九重親方)が、揮毫したものとの説明がありました。「寒椿」と「道」・・・・・・・・・・・・・・・。今回のまる裏大会で出された席題そのものではないですか!! 大会前に来るべき場所だった――と軽くショックを受けましたが、俳都松山を満喫した「まる裏」の旅となりました。
 
子規堂にある石碑。予選の席題「道」の文字が・・・・・・
 
 
 【itak】幹事・久才秀樹 記
 

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