2016年10月4日火曜日

俳句集団【itak】第27回句会評⑦ (橋本喜夫)


俳句集団【itak】第27回句会評⑦

  2016年9月10日
 
橋本喜夫(雪華、銀化)
 
 
 三日月をくすねる人と帰りけり    田島 ハル

とりそこねた句。というかスルーした。時間がなくても、句数が多くてもかなりの精度で選句できる自信はあるのだが、「三日月」という言葉でスルーしてしまった。経験的に三日月に秀句がないからであるが・・・それではいかんと反省している。今回の句会ではこの句だけ。さて、くすねる という言葉、他人のものをごまかしてこっそりと自分のものにする。こっそりと物を盗むことである。つまりあまり良い言葉ではない。ところが「三日月をくすねる」となると話は違ってくる。きれいな今夜の三日月をこっそりと自分のものだけにして、こころにしまい込んで帰るのである。詩的で屈折のある言葉だ。これが満月や星月夜だとおおげさで、くすねるという語とミスマッチになる。


 蘊蓄の女将さておき新蕎麦や    青山 酔鳴

まず内容はよくわかる、せっかく新蕎麦をすすって味わっているのにも関わらず、その店のおかみさんが蘊蓄をうだうだと述べる。うるせーな、まじ無視 という感じだろう。やはり座五の「や切れ」は無理があろう。「さておき」も要らないと思う。一案だが「新蕎麦や女主人の蘊蓄も」とかでも蘊蓄はスルーしていることは伝わるはずだ。


 飛蝗飛ぶ私に大腿四頭筋      斎藤 嫩子

楸邨の飛蝗に力が満ち行く という句があったはずだが、この句も、飛翔する直前の飛蝗の後ろ脚の力強さを自分の大腿四頭筋に照らし合わせて表現している。自分の大腿四頭筋に注目したところがこの句のコアである。面白い。


 遠花火かつて並びし肩ありぬ    黒江 鏡湖

遠花火を見ている作者はおそらく今一人で闇のなかにいる。そしてかって横に並んでいる肩があったことを追憶しているのか、もしくは遠花火をみている景のなかになつかしい肩を見つけたのか いずれにしても追憶の句であることは明白である。


 台風の目コンパスで描いてもまる  頑黒 和尚

まる まで言ってしまうのがこの作者の特徴。川柳的ではある。たとえば「台風の目をコンパスで描いてゐる」でも十分詩になるし、立派な俳句だ。川柳よりもサービス精神が少し足りないのが俳句なのだ。気象予報士はコンパスを使っているのではと予想する。台風の予報円や進路予想にもコンパスが使われるのでは?などと思う。「台風の目つついてをりぬ予報官」というわが師中原道夫の句を思い出してしまった。


 空壜をひとりと呼べり鰯雲      五十嵐秀彦

路上や路肩に置いてある一本の空瓶を「ひとり」と詠んだナイーブさに賛同する。鰯雲への飛び方がうまいといえばうまいが、楸邨の飛び方と同じと言えば同じかもしれぬ。二本の空瓶をふたりと呼ぶとなおさら寂しい感じがする。この発想を拡大すると近未来のSF的にもなるかもしれない。人間はひとりもいなくなり、空瓶だけの世界になるのだ。



以上 途中で止めそうになったが、最後まで持った。一挙に書いてしまったので、イタックモードのままで、いささかの失礼あるかもしれませんが、悪意はありませんし、イタックに免じてご寛恕あれ(了)。


※今回は講座の時間もたっぷりとったため句会が駈足になってしまいましたが、喜夫さんにはその分たくさん読んでいただき、ありがとうございます。
句会運営については今後も改善に注力して参りますが、なにより当日参集のみなさまのご協力で無事に終了しましたことを重ねて感謝いたします。
現場はいつもけっこうアップアップしていますので、それもまた生の句座の妙とお考えいただき、みなさまには
今後ともよろしくお願いいたします。(事務局 J)


 

0 件のコメント:

コメントを投稿