2017年3月3日金曜日

俳句集団【itak】第28回イベント抄録

 
 
俳句集団【itak】第28回イベント抄録
 
『うちらには日本語がある』
山之内 悦子(通訳者)


 
 
2016年11月12日 札幌・道立文学館
 

 ◆日常語を変え続けた人生

 私が今日、ここに立つ唯一の資格は松山出身ということだと思います。でも実は7年ほど前までは俳句をずっと避けてきました。松山には、あちこちに句碑がありすぎるゆえにその気になれなかったのかもしれません。

まず、自己紹介も兼ねて手短に自分の人生についてお話します。一番の特徴は、日常語を何度も変えざるを得ない人生を送ってきたことです。四国山脈の山奥の村で育ち、小学5年生のときに松山市内に引っ越しました。松山とは40㌔くらいしか離れていませんが、方言がかなり違う。北米だと、何百㌔、何千㌔離れていても、言葉はあまり変わりません。日本や英国などは、あまり交通手段のない時代に、それぞれの言葉が、それぞれその場で発達し、方言がいまでも歴然とある。そこが、言葉に彩りのできる面白い点なのですが、当時は、「山猿」と笑われないように一生懸命、(松山市内の)伊予弁に直しました。嫌だったのは、親の呼び方を変えることでした。「かあちゃん」から「お母さん」。他の人を呼んでるみたいでしたが、変えないと恥ずかしいと妹たちが言ったこともあって無理して変えました。

中学高校で伊予弁に慣れたと思ったら、大学は東京に行きました。伊予弁は関西弁に似たイントネーション。東京弁とはほとんど真逆です。学生時代、東京に妹たちが来た時には「電車の中ではだまっとらんといかんよ。田舎もんと思われるけんな」と言って聞かせました。今思えば本当に情けないかわいそうなことをしたと思います。さらに、東京の言葉に慣れた後、今度はカナダに住むことになりました。大学4年の時に一年間の交換留学でBC州のビクトリア大学へ行ったのです。それが縁で、30年近くカナダに住んでいます。今度は、英語がまともにできないと対等に扱ってもらえないという悲哀を味わいました。

私は、生まれ育った村の言葉で話すとき、両親と話すときが一番、素の自分になれます。それなのに、その後、伊予弁、標準語、英語と日常語が変わっていくたびに、元の言葉よりも新しく慣れなければならない言葉のほうが、世界において勢力、あるいはヘゲモニー(覇権)を持っていました。つまり素の自分を何度も脱ぎ捨て、新しい衣を着なければならなかったわけです。悲しく悔しく感じることもあったけれど、そうせざるを得ませんでした。もちろん世界で起こっている様々な差別の被害者の苦しみと比べれば取るに足らないものだったでしょう。けれど、悲しかったのは事実です。

10年ばかり前にカナダの大学院で教育社会学を勉強していたときに、イタリアの政治思想家、アントニオ・グラムシの言葉に出合いました。ムッソリーニ政権下で投獄され、長年の拘禁生活が原因で若死にした人です。彼は、『獄中ノート』などにおいて、文化における「覇権」という概念をしっかりと捉え表現しています。単純に言うと「権力を持っている側は、自分たちの文化のほうが、抑圧している者たちの文化よりレベルが高く尊いと相手に思いこませる。そういう戦略を持っている」という考えです。この言葉を読んだとき、私はそれまでの一生を、それに踊らされてきたなと思いました。常に新しく出会う文化が上で、それに合わせないと恥ずかしいと思ってきた。相手の思うつぼだった。権力を持つ側の言うことを内面化してきた、と思い至ったのです。以来、そういった覇権主義の内面化を解除する一助となりたいと思ってきました。

カナダに30年以上住み、通訳者としても長年外国語で話してきましたが、伝えたいことを100%言い切れてはないな、という感じを抱くことが度々ありました。ただ、幸せだと思えるのは、日本語はまず、この世から消えてなくなることはないだろうということです。例えば、世界には消えていく言語が、年間に百ほどもあります。その多くが先住民の言葉です。カナダでは私も民族的マイノリティ(少数派)として暮らしてきたので、やはりマイノリティの気持ちが気になり、長年、先住民の支援をして来ました。そこで知り合った先住民族の詩人ジュネット・アームストロングさんがある時「夜中に目が覚めて、もう自分の言葉で話す相手がいなくなる、あと10年もしたら死に絶えてしまうと思うと、悲しくて眠れなくなる」と述べていました。また、アイヌ民族で初めての国会議員となった萱野茂さんの通訳も何度か務めたことがありますが、講演会でこうおっしゃっていました。「もし日本人が、これから日本語を使うことを一切禁止されて、英語しか使ってはいけないと言われたら、皆さんはどういう気持ちになりますか。アイヌ民族にはそんなことが起こったのですよ」と。両方とも、とてつもなく重い言葉です。皆さんも沖縄の「方言札」というのをご存知かと思います。琉球の言葉をなくし、大和言葉を押しつけるために、小学校で方言で話すと首からその札をかけられていたのです。このような屈辱的なことが数多く起きているのが人間の歴史です。幸いにも植民地となったことのない日本では、日本語は傷付かずに残っています。でも国内では、差別と言語消滅の危機が起こってきたことを忘れてはならないと思います。

カナダに住んでいると、地名にあまり面白味を感じません。バンクーバーの通りの名前は、数字に加えて「ツガ通り」「カラマツ通り」などの樹木の名の他には植民地化してから英国の人物や地名にちなんで付けられた「ネルソン通り」「トラファルガー通り」などがほとんどです。英国系カナダ人には面白いかもしれませんが、他の民族にはあまり意味がありません。日本に帰ってくると、どこに行っても、その土地の歴史が想像できる地名であることがとても幸せです。昔ここに馬がいっぱいいたから「駒場」なのかなとか、「目黒」とは、何の目が黒かったんだろうとか考えるだけで楽しくなります。ここ北海道の地名はアイヌ語由来がほとんどだと思いますが、日本語とアイヌ語を併記した道路標識を作る運動があったようですね。例えば「近文(チカプニ)」は、鳥の「チカップ」と場所の「イ」がつながって「チカプニ」となり、当て字が使われたというふうに(cikap-un-i=鳥-いる-所)。旭川市内の標識には、アイヌ語の元の意味が分かる標識を30カ所あまり、作ったとのことですが、それ以上にはあまり広がってはいないようです。道内全土に広げれば、アイヌ民族にとって、祖先がどうその土地と関わってきたかが理解できて意味があると思いますし、住んでいる人や訪ねる人にとってもその土地の物語が感じられると思うのですが、いかがでしょうか。


 ◆自主的な植民地化

日本語は、どこからもだれからも取り上げられず続いているのに、日本人は、自主的に文化の植民地化に手を貸しているようなところがあります。もともと、外来のものを取り入れることが好きな民族であるおかげで中国の漢字が入るなど、言葉が豊かになるという恩恵も受けてはきました。また、言葉は変化しなくなったら、活力を失う運命にあることも確かです。人が変わり、時代が変わるにつれ文化が変わることは当然だといっても、それにしても、言葉をこれほど急激に変えるのはどうかなと思うことが多い。

例えば「ナスターチアム」「ナスタチュウム」(Nasturtium)を御存じの方はおられますか? ではキンレンカ(金蓮花)と聞いて、どんな花かを頭に浮かべることができる方は? 園芸が好きな人でないと馴染みはないかもしれませんが、「金蓮花」という言葉ならば、金色っぽい黄色やオレンジ色の花で蓮のような葉を持つ植物を想像できるのではないでしょうか。で、そういう説明を一度聞けば簡単に名前を覚えることができるでしょう。けれど「ナスタチュウム」と聞いても、とっかかりがないために覚えようがない。ことに外来語に弱い年配の人にとっては難しいのではないでしょうか。そのような言葉がどんどん日本語に入ってきています。

私は実家に帰るたびに、88歳の父から、紙に書いたリストを渡され説明を求められます。例えば「プラシーボ」と書いてある。この言葉の意味をみなさんご存知でしょうか? 「プラセボ」とも言いますが「偽薬」のことですよね。「お父さん、こんな言葉どこに出とったん?」と訊くと、「主治医が言うたんよ」と言う。こんな言葉を88歳の患者に使う医者の言語感覚って??と思います。父の世代は、若い頃に横文字を学ぶのを禁じられた世代。でも今は、外国語から入ってきた言葉は日本語の中に否応なく入り込んでくる。

そのほか、父のリストには、「環境アセスメント」「セーフティネット」などと書いてあります。父は昔から投書魔で、新聞を読むのが好きでした。そういう人が分からない言葉を載せる新聞を作ってどうするのか、と思います。横文字に馴染みがない年配者が大勢読んでいるのに、平気で新聞やテレビのニュースには出ている。おかしくありませんか? ニュースはみんなに分かってこそ。マスコミの方々にはもっと、外国語になじみのない人も、高齢の人も読めるものを書いてほしいと思っています。世の中には、国粋主義者的なことを言いながら日本語を粗末にして、段落ごとに必ずと言っていいほど英単語のカタカナ読みを入れるような政治家もいる。そのほうが学があるように見えるとでも思い込んでいるのでしょうか? 意思伝達のためには、大勢がわかる言葉を使う方が効果的なのではないかと思うのですが・・・。

 カタカナ語の多さには辟易しますが、そうはいっても、やはり日本語は、それらを上手に取り入れている器用な言語だとも思っています。例えば「ランナー」という言葉。日本語では、道を歩いてバッグを取られ、追いかけている人に対してランナーとは言いませんね。何らかの競技をして、走っている人の意味。一方、英単語の「runner」は、意味が山ほどあります。ただ走っている人も、競技の人も、ストッキングの伝線も、ほふく植物のほふく枝も、いろいろな走るものや長く伸びるものを「runner」という。日本語では、その中で一つの言葉を取り上げて、ある意味を持たせている。日本語の語彙を増やす効果的な方法だと思います。「テーブル」もそうです。日本語では、だいたい食卓の意味ですね。英語の「table」の定義は、「板の下に普通は4本の足があり、その上で食事をしたり、作業する台」とあります。作業の中には、カイロプラクター(矯正士)が、施術するのも入る。日本語では「テーブルの上にお乗り下さい」とは、よほどのことがない限りは言われませんよね。「トラブる」という言葉も、「トラブル」の「ル」を「る」に替えて、動詞にしている。問題を起こして一悶着するという意味。「揉める」よりも、少し軽い表現、不手際でうまくいかなかったと言うニュアンスを持たせています。とても面白いと思います。

日本人には、英語コンプレックスを持つ人も多いですが、もうすでに日本語の中に英単語がちりばめられています。だから、実は誰でもかなり英語の語彙はあるのです。このことは、言語社会学者の鈴木孝夫氏が著書『日本人はなぜ英語ができないか』で詳しく書いています。テーブルやランナーなど、日本語はかなり英語の言葉を取り入れていますが、その中で特化した意味だけで使うことがあることをわかっていないと、それをそのまま英語の文章のなかで使うとおかしなことになることがあります。例えば「ナイーブ(naive)」。日本語では、例えば芸能人についての表現の「ナイーブな微笑み」など、「繊細な、貴公子っぽい」という良い意味で使っています。でも、英語圏に留学に行って「あなたはナイーブね」と言われたら、喜んではだめ。「アホですね」と言われているようなものですから。世間知らずであまりに無邪気だという意味です。日本語に入っている英単語を使う際には、こういう点にご注意ください。

井上ひさしさんは、辞書を読むのが好きでしたが、みなさんも、ぜひ時間があるときに辞書を読んでみてください。カタカナ用語事典を端から端まで読むと、どういうわけで外国語が日本語に取り入れられたかが見えてきて興味深いですよ。今のカタカナ語の多さには閉口するものの、例えば「金蓮花」も、もとは中国語から来ているものだけれど、日本語の一部として定着している。日本語は変化するのに巧みな言葉、たくましい変化をしてきた言葉です。まあ、それは他のどんな言語にも言えるのかもしれませんが、そんな面白いところを見つけ出す。俳句を詠まれる皆さんの活躍どころの一つかもしれません。

 
 ◆英語のフィルター

それにしても、英語がこれだけ世界で威張りくさっているのは由々しき事態だと思います。なんでこんなに威張るかねえと思うほどですよね。インターネットの普及で、英語を読める人とそうでない人との間の情報量の格差がさらに開いています。英語を知っているのは、確かに便利です。韓国の人ともロシアの人とも英語で話せる。便利ではあるけれど、これほど英語が幅を利かせていると問題も出てきます。例えば、先日通訳したある国際映画祭で、インドネシアの映画監督が、せっかくインドネシア語⇔日本語の通訳者がいるのに、自ら英語で質疑応答をするという場面がありました。聞いている人は圧倒的に日本人が多く英語人口は少なかったのに、英語で受け答えした方が直接世界と対話しているという感じがするのか、インドネシア人が英語で話すのを私が日本語に通訳するという具合になりました。でも、やはり本当にそれですべてが通じているのか疑問に思いました。母語で話した方が思いの丈が伝わることが多いのではないか、と思ったのです。

英語以外の言葉で作られた作品で国際映画祭に応募する場合は、まず英語の字幕をつけて送ることが多いようです。そのため、インドネシア語の映画もスウェーデン語の映画も、英語の字幕を見て、それを日本語字幕に直すといったことが起きがちです。だから、一度、英語のフィルターがかかることになる。何語の映画でも、そういうことが多いのです。

それぞれの文化に言葉は密着しています。例えば、日本語にはあるけれど、英語にない言葉はたくさんある。逆もまた真なりです。すぐに思いつくのが、「懐かしい」という言葉です。日本人は懐かしがり屋なのでしょうか、カナダに住んでいると、納豆を食べただけで「あ~懐かしい」と言う。先週も食べたりしてるんですけどね。「懐かしい」を英語に訳すとなると、「ノスタルジック」という言葉がありますが、これは大袈裟な懐かしがり方です。兵士が遠征しているときに、故郷の歌を歌うとみんなホームシックになって、士気が下がる。泣き出す人もいる、病気みたいになるので、その歌を歌うのを禁止したことが昔にはあったそうです。そのときの現象が「ノスタルジー」と言われ、それがフランス語から英語に取り入れられたと聞いています。そのほか英語では、子ども時代を「思い出させる」などの意味の「remind(リマインド)」という動詞を使う。または「This takes me back to my childhood」と言ってみたり。それだと少し懐かしがり方が「ノスタルジック」よりは日常的になるけど、日本語の「懐かしい」ほどには多用されてはいないように思います。

そのような状況の中で何にでも英語のフィルター通すと変なことが起きます。たとえば「assertive(アサーティブ)」という言葉があります。日本語には訳しにくいのですが、自分の思うことをしっかり述べる、主張できる能力のことで英語圏では高く評価されているように思います。日本語には「自己主張」という言葉がありますが、あまりいい意味では使われない。古いですが「青年の主張」くらいだと悪くなかったけれど、「女の自己主張」などと言うと、昔も今も評判が悪い。カナダの大学に研修に行った日本の女性問題研究会のグループの通訳をした際、「assertiveness training」という言葉の訳し方で困りました。日本語で「自己主張する力の訓練」では余計なニュアンスがついてしまいます。一言で説明しにくく、「自分の思うところをきちんと主張する能力を伸ばす」だと長すぎます。なので、まず「アサーティブ」という言葉の定義を説明してから、訳さずにそのまま「アサーティブ」で通しました。

一事が万事、翻訳・通訳は、多かれ少なかれ無理して相手に合わせています。ほとんど同じサイズだけれど、わずかに袖丈が長かったりして、どこか合わないところがある洋服に自分の身体を無理矢理入れるようなところがあります。通訳で一番難しい点は?とよく訊かれますが、「いつでも100%重なっているわけではないのに、意味を通じさせなくてはならず、気持ち悪いところを我慢しないといけないところです」と答えています。こう考えると、何もかも英語一辺倒では、画一的な世界になってしまうのではないかと心配になるのですが、杞憂でしょうか。

そんなこと言いながら、なんで英語の通訳をやっているの、と訊かれることがありますが、それは乗りかかった舟だからです。英語を勉強してみたら、とても面白かった。話すことが好きで、思うことを伝えたいという私に向いていました。四国の山奥で育ち、「女の子のくせに、そんなに何で何でと訊いていたら、嫁入りできない」と言われていました。高校生のとき、往復で50分の自転車通学の途中、NHK英会話の寸劇の台詞を、一人二役でやっていた。まったく違う人格になったみたいで、ものすごく面白かった。抑圧がない世界に思えた。それは幻想だったと後で分かるのですが、違う人格を演じているようなのが楽しくて、英語を追求したいと思うようになったのです。もっともっとと追求するうちに、通訳という職業についていました。本当は芝居がしたかったのですが、それでは食べていけず通訳者になりました。

通訳者を介しての取り引きや講演では、難しさや欲求不満を感じることがあるかもしれません。その隔靴掻痒の感がわかるからこそ、精進して最上の仕事をしなければと思ってやっています。少数者の一員としてカナダに住んでいることもあり、常に先住民族のことが気になっていますし、アイヌ民族主催の二風谷フォーラムなどでも何度も通訳をしてきました。心惹かれる分野の知識は、自分の中に蓄積していく。そうなると、その分野に無関心の通訳者よりも、良い仕事ができるようになるのは当然です。話している人の気持ちを汲むような通訳も目指し易くなります。

 
 ◆自文化を知ることと多様性の大切さ

いくら英語を生業としていても、先ほど申し上げた通り英語帝国主義には批判的な立場です。例えば、横文字で名前を書く際に、氏名をひっくり返す人が多いですね。私は植民地化されたみたいで嫌です。私のライフワークともいえる山形国際ドキュメンター映画祭では27年間通訳してきましたが、反植民地主義といった考え方が根底にある映画祭であるからか、日本語の氏名はひっくり返さない。アジアの他の国々を始めとして世界中の人の名前を、自国で使われている順番で表記します。カタログでもそうしています。でも英語風にひっくり返すイベントや会議の方が日本には多いんでしょうね。日本に住んでいるアメリカ人が、日本語で話しているからといって「僕の名前はスミス・ボブです」っていう人は少ないですよね。「ボブ・スミスです」と言う。英語で話したり書いたりしているというだけで、どうして日本人はひっくり返すのか? そこが自主的な植民地化と思えてしかたありません。日本では小学生から英語を教えることになりましたが、そこらへんのことも心配です。多勢に無勢で、きっとそういうことになってしまうのだろうなと悲観しています。

全人類が破滅に向かっていると感じている人は今多いと思います。どの時代にも終末論はあるから、今回もそうはならないかもしれないけど、英知を寄せ集めないと人類が生き延びるのは難しいと私自身は感じます。そんな世界にあって、いろんな文化が残ることが人類存続の鍵になると思います。カナダの遺伝学者にデヴィッド・スズキという人がいます。日系の著名人で、環境擁護運動をけん引してきた人です。その方が、萱野茂さんと共同の講演で、まさにそのようなことを言っていました。「人類が生き延びるためには多様性が必要です。こうやって先住民の皆さんが、今まで様々な文化を伝えてきたことに心から感謝します」と。この言葉に聞く耳を持つ人はまだまだ少ない。カナダでもそうですが、それでも徐々に増えつつあります。

文化が違うと言葉も世界の見方も違います。たとえば花の名前の付け方ひとつでも違う。「キンギョソウ」は、中国から来た言葉らしいですが、英語では「snapdragon(スナップドラゴン)」と言います。竜がガッとかみつくところのように見えるためらしいです。英語圏の人たちは、ずいぶんと怯えてるなあ、こんなにかわいらしい花なのに、金魚がひらひら泳いでるよりも竜が襲いかかってるように見えるのかなあ、それともキンギョソウよりも後の時代になるまで金魚を見たことがなかったのかなあ、などと思います。欧州の他の言語でも、キンギョソウを「獅子の口」といった物騒な言葉で呼ぶことが多いようです。この例一つを見ても、世界にはさまざまな見方があるということがわかります。覇権主義ではなく、さまざまな言語や文化が対等にまじわれば、互いに学びあえるのになと思います。

この点においても、日本語の奥義を追求する「俳句」をなさるみなさんは、希望の星だと思います。真の国際化や多様化は、まず自分の文化をよく知ることから始まりますから。カナダで私は、通訳者・翻訳者を目指す人達を教えていますが、せっかくカナダに来たのに、日本人同士で話してばかりだという悩みをよく聞きます。私は「カナダには黙っていることを美徳だとは思っていない人たちが多いことは分かっているよね」とアドバイスします。黙ってニコニコしていても、なかなか友達になってはくれない。この子は面白い、自分が思いつかなかったような事を言うこの人の考えをもっと聞いてみたい、とカナダ人が思えば、英語が拙くても、分かりにくくても、辛抱して話してみる気になる。通訳者養成講義では毎回お題を出し、例えば「日加のバレンタインの祝い方の違いについてどう思うか」などというテーマで、1分ばかり英語でスピーチをしてもらったりなどして、自分の考えをまとめて言葉にする訓練をしています。

北米は、言葉にしてナンボの文化です。昨日、羽田空港に向かう途中に、大きな広告があって、「言葉に頼りすぎると退屈な女になっていく」とありました。「言ってくれるわね」と思ったけど、確かにそれもそうかもしれません。一理あるのは認めます。ただ、言葉に頼らない場合、人間はどうやってわかり合えるか。 表情? 触れてみる? 会う人みんなに触れるのは、ちょっと法律に触れますね。だから、言葉に頼るしかない。なるべく一生懸命、言葉を使ってコミュニケーションを図るしかない。けれど、そこで難しいのは、個々の単語の理解の仕方に個人差があるということです。例えば「バカ」という言葉一つとっても、子どものころから親に愛情を込めて「バカだねえ」と言われていた子と、その言葉を投げつけられた後に何が飛んでくるか分からないような中で育った子とでは、全然違う感覚を持つでしょう。辞書の定義を見ても、通訳をしていても、私たちは一体どれだけわかり合っているのかなと思っています。一つひとつの言葉の定義が、みな一人ひとり違う。世界に紛争は絶えませんが、人類の大半が、まあまあ礼儀正しく生きているのはたいしたものですよね。なかなか分かり合えないながらも人は分かり合いたいという気持ちが強いのでしょう。人間はそんな、いとおしい生き物なんだと思いながら、通訳をしたり教えたりしています。みなさんも俳句を通して、豊かな毎日をお過ごし下さい。今日は拙い話をお聞きくださってありがとうございました。
 
(了)


※諸般により第28回の抄録公開も遅れましたことを、あらためてみなさまにお詫び申し上げます(事務局)。 


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